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名古屋地方裁判所 昭和50年(行ウ)29号 判決 1984年4月27日

原告 竹山茂

被告 名古屋鉄道郵便局長

訴訟代理人 安間雅夫 今泉常克 安井和重 外八名

主文

一  被告が昭和五〇年五月一四日付で原告に対してなした一か月間俸給月額の一〇分の一を減給する旨の懲戒処分を取消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、名古屋鉄道郵便局(以下「名古屋郵便局」という)第二乗務課に勤務する郵政事務官であり、同課乗務係としての職務に従事していた。

2  被告は、昭和五〇年五月一四日付で原告に対し、一か月間俸給月額の一〇分の一を減給する旨の懲戒処分(以下「本件懲戒処分」という)をなした。

3  しかしながら、本件懲戒処分は違法であるから、その取消を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1、2の事実は認める。

三  抗弁

1  本件懲戒処分の処分理由

本件懲戒処分は、以下に詳述するとおり、昭和五〇年三月二四日から二六日までの三日間について原告が年次有給休暇(以下「年休」という)の請求(以下「本件年休請求」あるいは「本件時季指定」という)をしたところ、その所属課長である第二乗務課長大石三夫(以下「大石課長」という)が労働基準法(以下「労基法」という)三九条三項但書にもとづく時季変更権を行使する旨の通告をなし、これに対し、原告が右三日間の時季指定を撤回する旨の意思表示をしたにもかかわらず、右三日間につき同課長らの就労命令をも無視してみだりに勤務を欠いたことを理由になされたものである。

あるいは、仮に原告が右の時季指定の撤回の意思表示をしたものとはいえないとしても、適法な時季変更権の行使の通告がなされたのにもかかわらず、右のとおり就労命令を無視してみだりに勤務を欠いたことを理由としてなされたものである。

2  本件懲戒処分に至る経緯

(一) 原告は、昭和五〇年三月二四日から二六日まで、三日間連続して乗務する六番勤務に指定されていた。右の六番勤務は、一日目が名古屋駅―松阪駅間(以下この間を「名松線」という)下二号便に、二日目が松阪駅―新宮駅間(以下この間を「松和線」という)下一号便及び上一号便に、三日目が名松線上一号便にそれぞれ乗務するものである。そして、右の前日(同月二三日)は週休日、前々日(同月二二日)は非番日に指定され、いずれも勤務を要しない日であつた。

(二) 同月二二日午後七時三〇分ころ、第二乗務課職員川島勉は、自席で執務中の同課副課長水野馨(以下「水野副課長」という)に対し、「この年休を頼む。」と言つて同月二四日から二六日までの三日間と年休の時季を指定した原告の年休請求書を提出した。同副課長は「一応受け取つておくが、与えるか他時季振替するか、明日、服務係が出勤してから通知する。」旨申し向けたところ、右川島は「そうやな。」と言つて立ち去つた。

(三) 水野副課長は、翌二三日午前八時頃、服務を担当している第二乗務課課長代理米本秋弘(以下「米本代理」という)に右年休請求書を渡し、服務差し繰りの可否について検討するよう指示した。米本代理は、検討の結果、服務差し繰りが困難であると判断したので、同日午前一〇時頃、大石課長にその旨報告した。その報告を受けた同課長は服務差し繰りの可否について再検討することにし、米本代理と更に服務関係に精通している同課課長代理横井暢三(以下「横井代理」という)を課長席に呼んで、慎重に検討したが、本件年休は業務の正常な運営を妨げるものと認められたので、他の時季に変更することにした。

(四) 大石課長は、原告が同日週休日であつたため、本件年休の時季変更の通知方法を検討していたところ、午後一時頃、たまたま、原告が全逓信労働組合名古屋鉄道郵便局支部(以下「支部」という)の組合事務室にいるのを発見した。そこで同課長は同事務室入口に赴き、原告に対して、服務主事席に来るように伝えた。同一時二六分頃原告が服務主事席に来たので、同課長は、原告に対して本件年休請求書を示しながら「竹山君、この年休は、服務差し繰り困難であるから、三月二七日、二八日、二九日に他時季振替をする。」と通知した。これに対し原告は、「その日は希望しません。二四日からほしいんだ。」と申し立てたので、同課長は、更に「この日は差し繰り困難であるから、他時季に振替をします。」と言つた。すると、原告は「それならいらない。」と答えて立ち去ろうとしたので、同課長は「それでは、二四日は所定のとおり勤務しなさい。」と原告に命じたところ、原告は「はい。」と言つて、その場を立ち去つた。

このように原告は、本件年休が他の時季に変更されるならいらない旨発言し、かつ三月二四日から二六日まで所定の勤務に就くようにとの大石課長の命令に従う態度を示したので、同課長は原告が本件年休の時季指定を撤回したものと判断した。

(五) 三月二四日、原告は勤務開始時刻になつても出勤しなかつた。そこで大石課長は横井代理とともに原告の自宅へ出向くため出発しようとしていたところ、たまたま同日午後三時五〇分頃原告が第二乗務課職員勝谷修身(同日年休)及び同加藤年秋(同日週休)とともに支部組合事務室に入室するのを発見した。このため同課長は、庶務課課長代理瀬古昇(以下「瀬古代理」という)に立会のため来てもらうように連絡し、同四時頃瀬古代理とともに同事務室に赴き、原告が在室しているのを確認して同事務室入口付近から原告に対し、大きな声で「竹山君、勤務時間中だ。就労しなさい。」と就労命令を発したが、原告は無言のままこれを無視し就労する様子を示さなかつた。

支部組合事務室には多数の組合員らがいたが、そのうち支部執行委員伊神敏雄、内藤和夫の両名は、「無断で入室するな。」等と言いながら大石課長らを扉の外に押し出して扉を閉めた。そこで瀬古代理が右伊神に対し原告を呼ぶよう申し向けたところ、右伊神は同事務室入口扉を開け原告に対し、「呼んでいる。いくか。」と言つた後、「竹山君が行きたくないと言つている。」と言いながら扉を閉めて大石課長らの入室を妨害した。瀬古代理は扉の外から「所属長が勤務時間中の職員に就労するよう命じている。妨害するな。」と繰り返し申し向けたが、右伊神らはこれを無視して扉を開けなかつたので、同代理らはその場を引きあげた。

更に、同日、同四時二〇分頃、原告が食堂において勝谷修身及び加藤年秋と話し合つていたので、これを発見した大石課長及び瀬古代理はその場に赴き、大石課長が原告に対し業務命令書により就労を命じたところ、原告は業務命令書を手にとり「組合へ持つていこか。」と右勝谷らに小声で話しかけたが、就労命令には応じなかつた。

(六) 原告が右の三月二四日から二六日の三日間勤務しなかつたため、原告が乗務するよう勤務の指定を受けていた同月二四日の名松線下二号便、同月二五日の松和線下一号便及び上一号便、同月二六日の名松線上一号便は、いずれも乗務員一名欠員のまま運行せざるを得なかつた。

3  法令の適用

右のとおり本件の場合の原告は、遅刻等の単なる過失にもとづく欠務ではなく、大石課長から時季変更権の行使を通告された際に本件年休の時季指定を撤回する趣旨の発言をしておきながら、あるいは適法な時季変更権の行使を通告されながら同課長らの再三にわたる就労命令を無視して敢えて三月二四日から二六日に至る三日間四便にわたり欠務したものである。

そこで被告は、原告の右行為が国家公務員法九八条一項、一〇一条一項前段及び九九条に違反し、同法八二条一号ないし三号の各号に該当すると判断し、右各法条を適用して、原告に対し昭和五〇年五月一四日付で本件懲戒処分を行なつた。

4  時季変更権行使の正当性

以下に詳述するとおり、前記時季変更権の行使は、労基法三九条三項但書に定める「事業の正常な運営を妨げる場合」に該当するとしてなされた適法なものであるから、本件懲戒処分は違法ではない。

(一) 鉄道郵便局の業務内容について

(1) 鉄道郵便局の機能

郵政省は、郵便物を引き受けた郵便局からそれを配達する郵便局へ運送する手段として、鉄道、自動車、航空機、船舶等を利用しているが、中枢を占めるのが鉄道であり、鉄道によつて運送される郵便物の九九パーセント以上が日本国有鉄道(以下「国鉄」という)によつている。この国鉄を利用して鉄道郵便車(列車に連結された郵便物専用車輌をいう)により郵便物を運送するために設置された郵便物が鉄道郵便局(以下「鉄郵局」という)である。

(2) 鉄郵局における組織及び所掌事務

鉄郵局は、全国に東京、長野、新潟、名古屋、金沢、大阪、広島、米子、高松、熊本、仙台、青森、札幌、旭川の一四局(本局と呼ばれている)が設置され、国鉄の線区にしたがつて所掌区域(所掌業務線路)を持ち、郵便物の運送をつかさどつている。また、米子、高松、旭川の各鉄郵局を除きおのおの数か所の分局(全国で五六局)を設置している。

鉄郵局における組織及び各部門の所掌事務は次のとおりである。

<1> 庶務課

文書、人事、厚生、保健、労務、庁務などに関する事務

<2> 会計課

収入及び支出事務、物品会計、国有財産、統計、庁務(庶務課の所掌に属するものを除く)などに関する事務

<3> 計画課

<ア> 鉄道及び船舶(国鉄の経営に係る連絡船をいう)における郵便物の区分、取扱方法及び継送等の計画に関する事務

<イ> 鉄道郵便業務に従事する職員の服務計画に関する事務

<4> 調査課

<ア> 鉄道郵便業務に関する自治監査に関する事務

<イ> 郵便物に関する事故処理に関する事務

<ウ> 鉄道郵便業務に従事する職員の職場訓練に関する事務

<5> 乗務課(規模により第一、第二、第三及び第四等に分課されている)

鉄道郵便業務の実務運行に関する事務を行うもので、鉄郵局の中枢的な働きをしており、その業務内容は次の三種類に大別される。

<ア> 内務事務

業務運行の計画、乗務課職員の服務関係等を行う。

<イ> 駐在事務

集配郵便局(郵便物の取集め、及び配達事務を取り扱う郵便局、以下「集配局」という)との郵袋(郵便物を納入し運送するための専用の袋)の受渡し、鉄道郵便車にのせる郵袋の積込み、取卸し、積替え、保管及び小包郵便物等の区分を行う。

<ウ> 乗務事務

鉄道郵便車に乗務し、駐在員(鉄道郵便車に乗務しないで駐在事務を行う鉄郵局職員)、又は受渡局(鉄道郵便車と直接郵袋の受渡しを行う郵便局)との郵袋の授受及び鉄道郵便車内での郵便物の区分作業を行う。

<6> 分局

前記<1>ないし<5>の事務の一部を分掌する。

(3) 鉄道郵便局を中心とした郵便物の流れ

郵便物差出箱(ポスト)又は郵便局の窓口に出された郵便物は、集配局に集められ、それぞれあて先の配達を受け持つ集配局別に区分されたうえ、当該集配局あて運送され、当該集配局から各家庭へ配達されるものである。この運送される郵便物は、締切郵袋(鉄道郵便車内で開く必要のない郵袋)又は乗務員開披郵袋(一集配局あての郵便物が少ない場合に、数局あての郵便物が一つの郵袋に納入されており、これを区分するため、鉄道郵便車内で開く必要のある郵袋)に納入されて鉄道郵便車に積み込まれる。この積み込まれた郵袋は、まず乗務員(鉄道郵便車に乗務する鉄郵局職員)により締切郵袋と乗務員開披郵袋とに区分けされるが、後者は乗務員が開披し、在中郵便物について所定の区分を行つたのち、新たな郵袋に納入する。この郵袋は締切郵袋とともにそれぞれ指定された駅で取り卸し、該当受渡局に渡され、配達を受け持つ集配局へ送られるものである。

(4) 乗務事務の概要

鉄道郵便車で郵便物を運送する際の形態は、おおよそ次の三つにわけられるが、どの形態で運送するかは、あらかじめ定められている。

<1> 締切便

乗務員が乗務することなく、鉄道郵便車に締切郵袋を納め施錠したまま運送するもの

<2> 護送便

乗務員が鉄道郵便車に乗務し、締切郵袋の積卸しのみを行うもの

<3> 取扱便

乗務員が鉄道郵便車に乗務し、締切郵袋の積卸しを行うほか、乗務員開披郵袋を開き、同車内で郵便物の区分を行うもの。

右のうち、乗務事務を行う護送便及び取扱便の作業内容を更に詳述すれば、次のとおりである。

護送便とは、通常、乗務員二人ないし三人が乗務し、積み込まれた郵袋を鉄道沿線の受渡駅(鉄道郵便車に郵袋を積み卸しする駅)別に区分けし、列車が受渡駅に停車するつど、該当郵袋を取り卸し、これを駅で待機している受渡局職員等に引き渡し、反対に受渡局職員等が持参した郵袋を積み込み、列車が次の受渡駅に到着するまでの間に前述と同様の作業を行い、これらの作業をくり返しながら一定区間の乗務に従事するものをいう。

また、取扱便とは、通常、乗務員三人ないし四人(事務量の関係で少ないものは二人の場合もあり、多いものは一〇人程度の場合もある)が乗務し、護送便と同様に締切郵袋を扱うほか、乗務員開披郵袋を開き、鉄道郵便車内に設けられた郵便物区分棚によつて鉄道沿線の集配局別に区分し、次の受渡駅で取り卸すべきものをまとめて新たな郵袋につめなおし、締切郵袋とともに列車が受渡駅に停車するつど、前記護送便の場合と同じく待機中の受渡局職員等に引き渡し、反対に受渡局職員等が持参した郵袋を積み込み、発車と同時に新たに積み込まれた郵袋のうち乗務員開披郵袋を素速く探し出し、これを開披する等の一連の作業を、次の受渡駅に至るまでのわずかな時間内に行い、これらの作業をくり返しながら一定区間の乗務に従事するものをいう。

(5) 以上のとおり、護送便及び取扱便ともに小人数の乗務員が受渡駅相互間の非常に限られた時間内に、しかも限られたスペースの鉄道郵便車内において、前述の作業を行う関係上乗務員相互の共助共援は欠かせないものであり、万一、欠乗事故(あらかじめ指定された乗務員が乗務せず職務を欠くこと)が発生したような場合は、運送業務に重大な支障をきたすことになる。また、乗務員は、進行中の列車内で限られた時間内に正確かつ迅速に郵便物を処理しなければならないほか、自分の乗務している列車の受渡駅と接続している集配局との関係等を常に念頭において業務を処理しないと郵便物の引き渡しもれなどの事故発生の原因ともなりかねないものである。

以上のような業務の特殊性から郵便局の乗務員の場合には、欠乗者が生じたからといつて、臨時に他部門の職員をもつて補充することは極めて困難であり、ましてや臨時に非常勤職員を雇つてこれにあてるということは、はなはだ難しい職場である。

(二) 名古屋鉄郵局の業務概要について

(1) 名古屋鉄郵局の組織と所掌範囲

名古屋鉄郵局の所掌範囲は、国鉄線路のうち、浜松駅~大阪駅間(第一乗務課所掌)、名古屋駅~新宮駅間(第二乗務課所掌)、豊橋駅~飯田駅間(豊橋分局所掌)、岐阜駅~高山駅間(岐阜分局所掌)であり、この組織は別紙1のとおりである。

(2) 第二乗務課の業務内容

<1> 第二乗務課は、課長、副課長(四名)のほか、右各区間のうち、名古屋駅~新宮駅間の鉄道郵便車に乗務する乗務係(二九名)と、鉄道郵便車に乗務することなく、集配局との郵袋の受渡し、鉄道郵便車にのせる郵袋の積込み、取卸し、積替え、保管及び速達扱いの小包郵便物の区分を行う駐在係(一七六名)、庶務事務を担当する総括係(四名)からなつている。

乗務係は、名古屋駅~新宮駅間における鉄道郵便車一日八便に乗務しているが、その内訳は、名古屋駅~松阪駅間(名松線)四便(上り、下り各二便)と、松阪駅~新宮駅間(松和線)四便(上り、下り各二便)であり、すべて取扱便である。

<2> 鉄道郵便車内における作業を名松線下二号便及び松和線下一号便を例として詳述すると次のとおりである。

名松線下二号便は、一五時二一分名古屋駅を発車し、一八時〇二分松阪駅に到着するもので、途中受渡駅は、桑名、富田、四日市、鈴鹿、亀山、津の各駅であり、乗務員は当該便の責任者である便長担務を行う者(以下「便長」という)、区分担務を行う者(以下「区分」という)、受渡担務を行う者(以下「受渡」という)補助担務を行う者(以下「補助」という)の各一名、計四名である。名古屋駅において名松線下二号便で運送すべき郵袋を駐在係が積み込む際、当該乗務員全員でこれを確認受領し、鉄道郵便車が次の受渡駅桑名に到着するまでの間に締切郵袋と乗務員開披郵袋に分け、締切郵袋については、更に受渡駅別に区分けして、所定の場所に積み上げる。その際「受渡」、「補助」が郵袋の票札記載のあて先を大声で読み上げるのを「便長」が受渡駅別の取卸し郵袋数を所定の用紙に記入する。その後、乗務員開披郵袋を主として「区分」が開き、在中郵便物を取り出す。取り出した郵便物のうち、「便長」は、書留郵便物が納入されている小郵袋の個数を確認し、これを受渡局別に区分けし、所定の郵袋に納入するための準備作業を行う。「区分」は普通郵便物を、「補助」は速達郵便物を、「受渡」は小包郵便物及び普通郵便物のうち把束のまま扱うものをそれぞれ区分する。そして、これらのうち桑名駅で取り卸すべきものを新たに郵袋に納入する。

「便長」は、この郵袋及び同駅に卸す締切郵袋の送状を作成し、受渡しの準備を完了するものである。桑名駅に鉄道郵便車が到着すると同時に乗務員全員が郵袋を確認して取り卸す。更に新たに積み込まれた郵袋について、前記同様の処理を行うものである。以下同様の作業をくり返し松阪駅に至るものである。

松和線下一号便は、五時一〇分松阪駅を発車し、九時〇五分新宮駅に到着するもので、途中受渡駅は、多気、川添のほか一七駅であり、乗務員は「便長」、「区分」、「受渡」の三名である。その作業は、前記名松線下二号便の場合と同様である。ただし、作業分担は、「補助」がいないため、「受渡」、「補助」が行つていた作業の一部を「区分」があわせ行うこととしている。

<3> 以上のように、鉄道郵便車内の作業は、少数の乗務員で、しかも、列車が受渡駅間を走行している限られた時間内に、右のように一連の作業をしなければならない特異な作業であり、また当然のことながら、それぞれの便に乗務する乗務員数は、便別業務量に応じて合理的に算定され、必要な人員が配置されているため、乗務員のうち一名でも欠けることがあれば、車内事務を遅滞なく処理することはきわめて困難であり、業務上多大の支障をきたすことは明らかである。

また、仮に前記例示の下り便において一名欠乗となつた場合、鉄道郵便車に積み込まれた郵便物を受渡駅で待機中の受渡局職員等に完全に引き渡すことが不可能となり、この引き渡すことができなかつた郵便物は、当該下り便の終着駅である松阪あるいは新宮まで運送のうえ、上り便に積み替え、これを他の郵便物とあわせ処理しながら所定の受渡駅まで逆送されるため、結果的には当該郵便物は半日ないし一日、配達が遅れることとなり、国民生活に大きな支障を与えることになる。

(三) 名古屋鉄郵局第二乗務課乗務係における勤務形態

(1) 乗務係における勤務の種類

乗務に従事する職員の勤務時間については、その勤務場所が鉄道郵便車内であるため、列車の運行ダイヤとその乗務区間の列車走行時間が基準となる。したがつて、一日の勤務時間を八時間というように定型化できないため次の勤務を組み合わせ一勤務指定期間(四週間)を通じ一万〇五六〇分(一週平均二六四〇分=四四時間)となるいわゆる変型労働時間制を採用している。

<ア> 一番勤務

勤務時間は八六七分であり、日帰りで次の二便に乗務する。

名松線下一号便(名古屋発五・五四 松阪着一二・一七)

名松線上二号便(松阪発一五・〇八 名古屋着一八・四五)

<イ> 三番勤務

勤務時間は八三二分であり、二日間で次の二便に乗務する。

一日目 名松線下一号便(名古屋発五・五四 松阪着一二・一七)

二日目 名松線上一号便(松阪発一〇・二八 名古屋着一三・〇八)

<ウ> 四番勤務

勤務時間は五七七分であり、二日間で次の二便に乗務する。

一日目 名松線下二号便(名古屋発一五・二一 松阪着一八・〇二)

二日目 名松線上二号便(松阪発一五・〇八 名古屋着一八・四五)

<エ> 五番勤務

勤務時間は一五七八分であり、二日間で次の四便に乗務する。

一日目 名松線下一号便(名古屋発五・五四 松阪着一二・一七)

〃   松和線下二号便(松阪発一二・二四 新宮着一六・五四)

二日目 松和線上二号便(新宮発九・五八 松阪着一五・〇六)

〃   名松線上二号便(松阪発一五・〇八 名古屋着一八・四五)

<オ> 六番勤務

勤務時間は、一二八二分であり、三日間で次の四便に乗務する。

一日目 名松線下二号便(名古屋発一五・二一 松阪着一八・〇二)

二日目 松和線下一号便(松阪発五・一〇 新宮着九・〇五)

〃   松和線上一号便(新宮発一六・五五 松阪着二一・〇六)

三日目 名松線上一号便(松阪発一〇・二八 名古屋着一三・〇八)

なお、以上の勤務には、乗車前及び降車後の準備整理時間等が含まれている。

また、二番勤務は存在しない。

<カ> 予備日勤

勤務時間は四四〇分であり、乗務員の欠務等の場合、代替乗務する要員として本局で待機している予備日勤要員の勤務である。

<キ> 非番日

一勤務指定期間における勤務時間が、所定の一万〇五六〇分を超えないようにするためにおく勤務時間の割り振りを行わない日である。

以上のように、鉄郵局の場合には特殊な勤務形態となつているが、名古屋から松阪まで一日で往復乗務する勤務(一番勤務)は稀であつて、暦日二日ないし三日にまたがる勤務(三番勤務ないし六番勤務)が大部分である。しかし、例えば同じ暦日二日の勤務であつても、その勤務時間には差異がある。すなわち、一日目名古屋から松阪まで乗務勤務(四時間二六分)し、ここで一泊ののち、翌日の列車で名古屋まで乗務勤務(五時間一一分)し、歴日二日にまたがるが一日分(一勤務指定期間の一日平均勤務時間七時間二〇分を一日分とした)強の勤務時間にしか相当しないもの(四番勤務)、及び一日目名古屋から新宮まで乗務勤務(一四時間五五分)し、ここで一泊ののち、翌日の列車で名古屋まで乗務勤務(一一時間二三分)し、歴日二日ではあるが三・五日分強の勤務時間に相当するもの(五番勤務)等がある。

なお、歴日三日にまたがる勤務(六番勤務)の場合は、一日目名古屋から松阪まで乗務勤務(四時間二六分)し、ここで一泊ののち、二日目は松阪から新宮へ、更に新宮から松阪へ乗務勤務(四時間二六分)し、ここで一泊ののち、二日目は松阪から新宮へ、更に新宮から松阪へ乗務勤務(一二時間二三分)し、再度ここで一泊し、三日目は松阪から名古屋まで乗務勤務(四時間三三分)するものである。

(2) 要員配置の状況

<1> 第二乗務課乗務係には、前記のとおり、二九名の職員が配置されていた。同係所掌の名松線及び松和線における一日八便を完全に運行させるためには、一日当たり一八名の乗務員が必要であり、その内訳は、一番勤務一名(日帰り)、三番勤務二名(出発及び帰着各一名)、四番勤務二名(出発及び帰着各一名)、五番勤務四名(出発及び帰着各二名)、六番勤務九名(出発、出張中及び帰着各三名)である。

(注) 出発とは、名古屋を出発するもの

帰着とは、名古屋へ帰着するもの

出張中とは、三日間勤務の第二日目にあたるもの

これを、便別乗務員数とあわせ図示すれば別紙2のとおりである。

右において、一日間の便別の延べ乗務員数は二六名であるが、そのうち八名(一番勤務一名、五番勤務四名及び六番勤務のうち第二日目の三名)はそれぞれ一日二郵に乗務することになつているため単人員としては、一日当たり一八名が乗務することになる。また、他の一一名については、週休日、非番日、予備日勤及び諸休暇等となつている。

<2> 個々の職員に対する毎日の勤務指定は、郵政省と全逓信労働組合との間に締結された「勤務時間及び週休日等に関する協約」に基づいて、四週間を単位とした「勤務指定表」を作成して行うことになつている。

乗務係の勤務指定表は、基本線表と予備線表からなつている。

基本線表は、一勤務指定期間を通じ勤務時間が所定の一万〇五六〇分となるように勤務の種類を組み合わせて勤務を割り振つており、具体的には「週休日・六番勤務・五番勤務・非番日・週休日・六番勤務・非番日・三番勤務・週休日・六番勤務・五番勤務・非番日・週休日・六番勤務・一番勤務・四番勤務」の順に組み合わせ、この組合せを各職員に順次一日分ずつ繰り下げて指定し、各勤務を循環して行うことになつている。これを例示すれば別紙3のとおりである。

この基本線表により勤務指定を行なう方法によれば、各乗務員の勤務条件が等しくなり、また、複雑な勤務時間の調整が画一的にできるものである。なお、基本線表については、最も勤務時間の長い五番勤務(二日間で三・五日分を超す一五七八分の勤務時間)を行なつた場合には、職員の健康管理面から、その勤務に引き続き必ず「非番日・週休日」をおくよう配意している。

一方、予備線表は一勤務指定期間を通じ、週休日四日のほかはすべて予備日勤を割り振るものである。

<3> ところで、基本線表によつて、勤務指定をされている者(以下「基本線表勤務者」という)二一名については、当初から乗務を要しない週休日四日及び非番日三日(合計七日)が割り振られているため、基本線表勤務者のみによつて所要乗務員一八名を確保できないことになる。すなわち、基本線表勤務者は、一勤務指定期間(二八日)のうち、右勤務を要しない七日を除いた二一日間稼働することになるので、一勤務指定期間の延べ人員で四四一名(二一名×二一日)となり、所要乗務員五〇四名(一日当たり所要乗務員一八名×二八日)に対し六三名の乗務員が不足することになる。この不足する乗務員の内訳は、一番勤務七名、三番勤務一四名(単人員七名)、四番勤務一四名(単人員七名)、五番勤務二八名(単人員一四名)、合計六三名(単人員三五名)であるが、この乗務員の不足数は一日当たり一名ないし三名のバラツキ(一名―二日、二名―一七日、三名―九日)がある。そして、この不足する乗務員は、予備線表によつて勤務指定をされている者(以下「予備線表勤務者」という)の中から充当することにしている。

また、基本線表勤務者が休暇等によつて勤務しない場合には、更に乗務員の不足を生ずることになるが、この不足乗務員についても、予備線表勤務者の中から充当することにしている。

このように、予備線表勤務者については、当初予備日勤に勤務指定をしておいて、日別の乗務員の不足数(諸休暇を含む。)に応じて、当該不足勤務へ勤務指定の変更を行ない、代替(補充)乗務するものである。

なお、勤務指定にあたつては、一勤務指定期間ごとに順次基本線表勤務者と予備線表勤務者とを交代させ、職員相互間の勤務の公平に配意している。

(四) 本件年休請求にかかる各該当日の要員状況等

(1) 三月二四日の状況

<1> 原告から本件年休請求書が提出された時点における三月二四日の要員事情は、乗務係二九名中、週休日三名、非番日三名、年休五名、病気休暇(以下「病休」という)一名の合計一二名が欠務予定であつたため、業務の正常な運営に必要な一八名の乗務員に対し、既に一名不足であつた。業務の正常な運営を図るには一八名の人員を欠くことはできないため、第一乗務課職員で第二乗務課兼務となつていた倉橋照夫を乗務させることにして、ようやく必要人員を確保している状況であつた。

このように、原告指定の日に原告に年休を与えることは業務の正常な運営を妨げるものと認められたので、大石課長は時季変更権を行使したのである。

そこで時季変更権を行使した理由の具体的事情を詳述すれば、次のとおりである。

<2> 基本線表勤務者二一名中、当初から週休日三名、非番日三名が指定されていたので、所要乗務員一八名を確保するために、当初から、予備線表勤務者のうちから三名を充当する予定であつた。また、基本線表勤務者のうち三名の年休時季指定があつたことに伴い、これを補充するため、予備線表勤務者のうち三名を充当する必要が生じ、結局合計六名の乗務員を予備線表勤務者から充当する必要があつた。一方、予備線表勤務者八名中、三名の欠務者(年休二名、病休一名)が発生したため、代替(補充)乗務可能者は五名であつた。したがつて、基本線表勤務者によつて不足する六名の乗務員は、予備線表勤務者からの五名のみでは、なお一名不足していた。そこで、前記第二乗務課兼務の倉橋を右一名の不足に充当して、ようやく必要な乗務員一八名を確保していたのである。

<3> 基本線表において当初から不足していた三名の乗務員については、これを補充するため、三月一七日ころ予備線表で勤務指定されていた村井英雄、進藤昭二及び伊藤文男を乗務させることにし、右村井に対しては同月二一日、右進藤に対しては同月二二日、右伊藤に対しては同月二三日に、それぞれ勤務指定変更記録簿(以下「変更簿」という)により勤務指定の変更を命じた。

三月一八日、基本線表勤務者の島地龍彦から同月二二日ないし二四日と年休の時季を指定した年休請求がなされたため、同人の替りに予備線表勤務者の徳武松太郎を乗務させることにし、右徳武に対しては同月二〇日に変更簿により勤務指定の変更を命じた。

三月一九日、予備線表勤務者の西村典之から、同月二四日と年休の時季を指定した年休請求がなされたため、同人に対しては同日、変更簿により当該年休時季指定日の直後の乗務勤務を通知した。

予備線表勤務者の酒井隆義から、昭和四九年一一月一〇日と年休の時季を指定した年休請求がなされたが、その際同人は時季変更を受け、その振替日として、年休の日を三月二四日と時季指定したので、同人に対し三月一九日、変更簿により当該年休時季指定日の直後の乗務勤務を通知した。

基本線表勤務者の勝谷修身は、三月一三日、名松線上二号便で帰着の直後、年休の時季を同月二四日と指定した年休請求をしたため、その補充として予備線表勤務者の臼井明次を乗務させることにし、右臼井に対しては同月二一日に変更簿により勤務指定の変更を命じた。また、右勝谷に対しては、同月一九日、変更簿により当該年休時季指定日の直後の乗務勤務を通知した。

予備線表勤務者の加藤美視は、長期欠務(病休)中であつた。

基本線表勤務者の小椋信夫は、三月一八日名松線上二号便で帰着の直後、年休の時季を同月二四日と指定した年休請求をしたため、その補充として第二乗務課兼務倉橋照夫を乗務させることにし、右倉橋に対しては、同月二二日に変更簿により勤務指定の変更を命じた。また、右小椋に対しては、三月二三日に変更簿により当該年休時季指定日の直後の乗務勤務を通知した。

<4> このように原告から本件年休請求書が提出された時点における三月二四日の要員事情は、既に余裕のない状態であつたから、原告に原告の請求どおりに年休を与えるためには、同日週休日又は非番日に指定されている者の勤務指定を変更して乗務させる(以下「勤変等」という)以外に方法はなかつた。

ところで、週休日は、労働基準法上、第一義的に優先して付与すべき休日であるから、年休を付与するためには週休日を変更することは、特別の事情でもない限り、本来的にはできないところであるのみならず、本件年休時季指定にかかる三月二四日を週休日に指定されている者は三名であつたが、これら三名はいずれも翌二五日から六番勤務に指定されており、仮に二四日の勤変等が行なえたとしても、二五日からの六番勤務の代替乗務者の確保が困難な状況にあつた。

次に、本件年休時季指定にかかる三月二四日を非番日に指定されている者は三名であつたが、本件年休について検討を行なつた三月二三日には、右三名のうち二名は、五番勤務で名松線上二号便(名古屋着一八時四五分)に乗務中であり、また他の一名は、六番勤務で名松線上一号便(名古屋着一三時〇八分)に乗務中であつたため、同人らの事情聴取及び勤務変更の通知は困難な状況にあつた。

(2) 本件時季指定の性格と時季変更権行使の効果

そもそも年休の時季指定は、「労働者がその有する休暇日数の範囲内で、具体的な休暇の始期と終期を特定して」行なうのであり、始期と終期で特定された場合には、それは一個の時季指定であつて、これを使用者の意思によつて任意に分割できるものではない。したがつて、具体的に始期と終期によつて特定された時季のうちに労基法三九条三項但書の事由が存在すれば、使用者は適法に時季変更権の行使ができるものといわなければならない。

そこで、これを本件についてみれば、原告は、三月二四日を始期とし、三月二六日を終期とする時季指定を行なつたものであるから、右三日間は一個の時季指定であるというほかはない。したがつて、時季変更権行使の要件たる労基法三九条三項但書所定の事由の存否は、右一個の時季指定全体についてこれを検討すべきであるところ、本件の場合、右時季指定の始期に当たる三月二四日について、右のとおり、労基法三九条三項但書の事由が存したのであるから、その余について検討するまでもなく、本件時季変更権の行使は適法であるといわなければならない。

(3) 乗務係における服務差し繰りの特質

第二乗務課乗務係における勤務形態は、二日又は三日と連続した勤務が多く、しかも国鉄ダイヤによつて運行している列車に乗務して移動しながら行なう車中での出張勤務であるという点において著しい勤務の特殊性がある。したがつて、二日又は三日間連続の勤務指定がなされている期時について年休の時季指定がなされた場合は、それが右連続する期時についての一個の時季指定であることはもとより、服務差し繰りを検討するに当つても、右連続する期間を一体としてとらえなければならないという特殊性が存するのである。

本件において、原告は、三月二四日、二五日、二六日の三日間については六番勤務と指定されていたものであるから、第一日目の三月二四日は、名古屋から松阪まで乗務し、その日は松阪で一泊、第二日目の三月二五日は、松阪から新宮まで乗務し、折り返し新宮から松阪まで乗務して再度松阪で一泊、第三日目の三月二六日は、松阪から名古屋まで乗務して勤務を終了するという三日間連続の勤務であり、右三日間について旅行命令(出張)がされていたものである。したがつて、原告の本件年休時季指定に対する服務差し繰りの検討は、右に述べたように三日間の出張勤務についての代替措置の可否が一体として検討されなければならず、現にそのように検討されたものである。

そしてその結果、本件年休時季指定については、三月二四日について業務の正常な運営を妨げる事由が存したので、このことをもつて時季変更権の行使が可能であつたが、大石課長らにおいては、本件年休について時季変更権を行使した場合、原告において、三月二五日及び二六日のうち、一日又は二日間の時季指定がなされることも一応想定して、右両日における服務差し繰りをも念のため検討したところ、右両日についても三月二四日と同様の事由が存したものである。

(4) 三月二五日の状況

<1> 三月二五日の服務差し繰りの検討に当つては、原告の勤務(三日間の六番勤務)を一体として検討したところ、すでに三月二四日については業務の正常な運営を妨げる事由が存したため、当然原告は三月二四日に勤務することが前提となる。

そこで、原告が三月二四日の一日だけを勤務し、二五日及び二六日について年休を与えようとする場合には、二四日に一番勤務(一日勤務)を担当することとならざるを得ないが、一番勤務に指定される者は一日につき一人と限定されているので、本件年休を検討した際二四日に一番勤務が予定されていた倉橋の勤務を原告の勤務に変更することとなる。そうすると、右倉橋については他の勤務を指定することになるが、この場合二四日についてはもはや一日限りの勤務はないので、二日又は三日間にわたる勤務(三番~六番勤務)とせざるを得ないが、それができない限り三月二五日についての服務差し繰りはできないことになる。

そこで、右倉橋に対して、三月二三日午前九時三〇分頃、本件当時名古屋鉄郵局第二乗務課主事であつた金井義一(以下「金井主事」という)は、一日勤務を三日勤務に代つてくれるよう事情聴取したところ、同人は体がえらいということを申し立てたので(同人は高血圧により担当医から要治療者の判定をうけていた。)、その旨米本代理に報告した。右報告を受けた米本代理は、金井主事が服務担当主事となつて日が浅いこと、大石課長に検討結果を報告する段階で自分なりに右倉橋の申立内容を確かめておきたいことから、再度自ら同人に、二四日の六番勤務に一番勤務を変更して乗ることについて事情聴取した。ところが同人は、金井主事の事情聴取と同様体がえらいから替れない旨申し立てたので、その事情を斟酌し、勤務指定の変更はしなかつたものである。

<2> 右倉橋は、昭和四九年一二月一日に高血圧Bの判定をうけ、深夜勤激務禁止とされ、さらに、同年一〇月三一日の尿検査結果は(+)、同年一一月二八日の心電図検査結果は左室肥大の各判定がなされ、本件当時も降圧剤を服用していた。

<3> このように原告の三月二五日の年休を付与するためには、どのように服務差し繰りを行なつても三月二四日の勤務との関連で最終的には右倉橋の勤務指定の変更が絶対の前提条件であつたところ、それができなかつたので、服務差し繰りができず、原告に三月二五日の年休を与えることは、業務の正常な運営を妨げることになると判断したものである。

(5) 三月二六日の状況

<1> 三月二六日の服務差し繰りについては、三月二五日の場合と同様に、すでに三月二四日及び三月二五日については業務の正常な運営を妨げる事由が存したので、原告は、三月二四日及び二五日の二日間については勤務することが前提となる。

そこで、三月二六日に原告の年休を与えるためには、原告が指定されていた二四日から二六日までの三日間の六番勤務の代替者を確保することが絶対の条件であるが、この代替者となり得る者は勤務指定表によれば、前記倉橋のほか、進藤及び伊藤(文)の計三名であつた。倉橋については、右のとおり健康上の理由を申し立てたので、勤務指定の変更はできなかつた。また、進藤については三月二六日に週休日が指定されていたが、同人の週休については、三月一四日に週休を付与して以降連続一一日間週休を与えていなかつたため、他の者との権衡上、三月二六日にはどうしても週休を付与しなければならない状況にあつたため、服務差し繰りの対象から除外した。さらに伊藤(文)については三月一九日ころに、同人から三月二六日には週休がほしいとの申し立てがありこれを容認したため、服務差し繰りの検討の際、その対象から除外し、勤務指定の変更はしなかつたものである。

<2> このように、原告の三月二六日の年休を付与するためには、原告の六番勤務の代替者が必要であつたところ、結局代替者の確保をすることができなかつたため、服務差し繰りが困難となり、原告に三月二六日の年休を与えることは業務の正常な運営を妨げるものと判断したものである。

(6) 以上述べたとおり、被告は、本件年休については三日間にわたる一個の時季指定であるとの前提に立ちつつも、仮りに原告から右時季指定の三日間のうち、二日又は一日でもよい旨の意思表示があつた場合に年休を与えられるか否かについても一応検討をおこなうなど最大限の努力をはらつたが、結果的に事業の正常な運営を妨げる事情が存したため、時季変更権の行使をしたものである。

(五) 「事業の正常な運営を妨げる場合」に該当するとの判断

使用者が、職員の年休請求に対して時季変更権を行使するには、客観的に労基法三九条三項但書の事由、すなわち、事業の正常な運営を妨げる事由が存することが必要である。ただし、右事由が存するというためには、一般的には、現実に事業の正常な運営を阻害する結果が発生することまで必要とするものではなく、その発生のおそれがあれば足りるものである。

ところで、鉄郵局は、国鉄による集配郵便局相互間の郵便物の運送業務をなすことによつて、郵便事業の一翼をになつており、その業務の正常な運営が阻害されると、集配郵便局相互間の所定の郵便の流れに影響し、ひいては郵便物の遅配又は誤配を生ぜしめるおそれがある。かくては、国民の郵便事業に寄せる、迅速かつ正確な郵便物の取扱いがなされることへの期待と信頼は裏切られることとなる。鉄郵局は、常に集配郵便局相互間に郵便物が定められたとおりの速さと正確さをもつて流れるように、その業務を遂行すべき使命を帯びているのである。

鉄道郵便車内の作業は、少数の乗務員で、しかも、列車が受渡駅間を走行している限られた時間内に、一連の作業をしなければならない特異な作業であることから、乗務員のうち一名でも欠けることがあれば、車内事務を遅滞なく処理することはきわめて困難であり、業務上多大の支障をきたしていたのであり、大石課長は、右事情のもとに本件年休について時季変更権を行使したのである。

そして、現実にも原告の欠務した三月二四日には、三重県あての普通通常郵便物が約二〇〇通、三月二五日には、同じく三重県あての普通通常郵便物が約七五〇通及び府県雑の普通通常郵便物が五〇〇通、三月二六日には、府県雑が二五〇通、岐阜県あてのものが二〇通、愛知県あての三〇通の計三〇〇通の普通通常郵便物がそれぞれ未処理となつたものである。これらの末処理郵便物は、送付局で自局の郵便物と合わせて次便以降で配達局へ送付されることになり、結局はそれらの配達が一日から半日程度遅れることとなつた。

右のように原告の欠務によつて現に未処理郵便物が多数発生したことは、本件年休の時季変更権行使の判断の際に労基法三九条三項但書所定の事由の高度の蓋然性を有していたことの証左である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実のうち、原告が昭和五〇年三月二四日から二六日までの三日間につき年休の請求をしたこと及び第二乗務課長が時季変更権行使の通告をしたことは認め、その余は否認する。

2  同2(一)の事実は認める。

3  同2(二)の事実は否認する。

4  同2(三)の事実は知らない。

5  同2(四)の事実のうち、原告の本件年休請求に対し、大石課長が三月二七日、二八日、二九日に他時季振替をする旨告げたこと、これに対し、原告が「それなら要らない。」と返事をしたことは認め、その余は否認する。「それなら要らない。」とは、「二七日からは要らない。」、「その日は希望しない。」という趣旨で右他時季振替には応じない旨の返事をしただけであり、本件時季指定(年休請求)を撤回したということはない。

6  同2(五)の事実は否認する。

7  同2(六)の事実のうち、原告が三月二四日から二六日の三日間出勤しなかつたことは認め、その余は争う。

8  同3の事実は争う。

9  同4(一)の(1)ないし(4)の事実は認める。

10  同4(一)の5の事実は争う。乗務事務には熟練を要するものと、そうでないものがあり、必ずしも代替困難とはいえない。現に名古屋鉄郵局ではアルバイト学生を非常勤職員として採用し、第一乗務課においては、夏期、年末繁忙期に護送便に、第二乗務課においては、年末繁忙期に取扱便に乗務させていた。

11  同4(二)の(1)の事実及び同4(二)の(2)の<1>、<2>の事実は認める。

12  同4(二)の(2)の<3>の事実は争う。松和線下一号便については従来乗務員は二名であつたところ、昭和四八年一〇月一日、松阪駅―鳥羽駅間が廃止され、三二名いた乗務係のうち三名が余剰人員となつたため、うち一名を配属して三名となつているものである。このように人員配置は種々の要因が伴い決定されているものである。

13  同4(三)の事実は認める。

14  同4(四)の(1)の<1>ないし<3>の事実は知ならい。

15  同4(四)4(1)の<4>の事実は否認する。

16  同4(四)の(2)の事実は争う。

17  同4(四)の(3)ないし(6)の事実は否認する。

18  同4(五)の事実のうち、昭和五〇年三月二四日から二六日の間に未処理郵便物が生じたことは認め、その余は争う。

五  原告の主張

1  労基法三九条但書の事由の不存在

(一) 業務支障について

(1) 労基法三九条三項但書の「事業の正常な運営を妨げる場合」とは、企業又はその一部たる職場の運営が一体として著しく阻害することが客観的に判断されることを要し、単に一列車便に欠務が生じるという程度のことをいうのではない。そうでないとすれば、鉄郵局乗務員の年休取得は大幅に制約を受け、年休を自由にとらせるという法の趣旨にもとることになる。そして、現に名古屋鉄郵局においては、本件当時も現在も突発欠務の出た場合、後補充をせずそのまま運行されている実情があり、業務支障は出ていない。

(2) 本件で昭和五十年三月二四日から二六日の三日間につき未処理郵便物が生じているが、これをもつて「事業の正常な運営が阻害され」たものということはできない。すなわち、鉄郵局の業務は、静止局の郵便業務と異なり、車中取扱いで未処理郵便物が出ても、一般的に職員に指示された方法でこれを解消する手立てが日常的に確立されているため殆ど実害を生ずることはない。また、通常、郵便物の配送は投函から配達まで標準配達日数から一日ないし二日早くなつたり遅くなつたりすることもあり、そのことがまた許容されているものである。従つて、本件でも未処理郵便物数は通常運行の範囲のものであつて、さしたる業務支障はなく、事業の正常な運営が阻害されていないことは明らかである。

(二) 服務差し繰りの不履行

(1) 原告の本件年休請求に対し、大石課長らは、各該当日につき服務差し繰りの検討連絡をしたうえで労基法三九条三項但書の事由を判断すべきであつたのに、単に勤務指定表をみただけで他の職員に対し事情聴取等連絡を全くしていない。このような場合、服務差し繰りをしたとは言えず、「事業の正常な運営を妨げる場合」に該当するということができず、時季変更権の行使をすることは認められないというべきである。

(2) 郵政省は、昭和三七年九月郵政省郵務局の編集にかかる「郵便業務管理」なる文書を現業各局の管理者を対象に郵便業務管理の指針として刊行し欠務後補充について指導しており、これによれば、服務差し繰りによる後補充として一般的には週休日の振替え、年休の変更等によつて欠務の後補充をすることを考える旨記載されており、また、郵政省就業規則六〇条及び郵政省勤務時間規程一九条においても週休日の振替えについての条項が存していた。従つて、右指導に従い欠務後補充をすべきであつたが、大石課長は、週休及び年休の者は服務差し繰りの対象から除外するよう指示し、八名の人員を差し繰りの対象から除外してしまつた。

(3) また、三月二四日を非番日に指定されている三名には一切連絡をとらず差し繰りの可能性に関する事情聴取すらしなかつた。右三名は同月二三日には全員乗務中であつたとしても、朝に松阪駅事務室や新宮駅事務室に電話連絡することは可能であつた。さらに、熊野勝章については当日午後一時〇八分に名古屋へ帰着予定であつたから、到着を待つつもりがあれば結論を出した午前中より一、二時間待てば直接事情聴取することが可能であつた。

(4) 郵政省は、前記「郵便業務管理」で、服務差し繰りの方法として、副課長、専務課長代理、専務主事、計画要員等から応援をうけることも指導しており、現に本件以前にも副課長、分局長代理が欠務後補充のため乗務した例があり、本件でも当時第二乗務課では副課長が四名、課長代理が七名いたのであるからそのうちの一名が原告の代替として乗務することが可能であつたのに、大石課長はこの代替措置をとることも怠つた。

(5) 倉橋照夫に対し、電話連絡がなされた事実はなく、同人は乗務が可能であつたというべきであるが、これを前提とすると、本件の場合、別紙4ないし8記載の九通りの方法で服務差し繰りが可能となり、原告に年休を付与することが可能であつた。

2  時季変更権の濫用

(一) 人員配置の不備

原告ら鉄郵局乗務員は駐在員や静止局の一般郵便職員らに比し職務の特殊性から年休取得について種々の制約を受けている。また、名古屋鉄郵局内においても人員が多く便数も多い第一乗務課に比し第二乗務課の乗務する便数は少なく、名古屋を発着する便が早朝五時五四分発と夜間六時四五分着の各一本と昼間二本にすぎず、人員の融通がきかせにくいことで年休の指定も非常に制約を受けており、自由な取得が妨げられている状況にあつた。

右のような状況の下で、被告は、第二乗務課乗務員が年休を取得しうるよう適正な人員配置をすべきであつたのに、以下のとおり、本件当時郵政省が自ら定めた種々の欠務後補充のための人員配置の措置を怠つており、右措置がなされていれば原告に本件年休を付与することができたことは明らかである。従つて、このような場合に「事業の正常な運営を妨げる」ものとして時季変更権の行使をするのは時季変更権の濫用であつて無効というべきであり、本件懲戒処分は取消を免れない。

(1) 郵政省は、昭和三二年に年休の付与につき全逓と計画年休協約を締結し、それまで膨大にたまつていた年休を消化させようとしたが、更に、同三七年には右年休消化の裏付けとして欠務の後補充のための予備定員を制度化することになつた。

そして、本件当時東海郵政局は、第二乗務課乗務係については乗務定員(本務者という)二五名、予備定員四名と各定員を令達していた。従つて、同係においては基本線表勤務者を二一名とし、予備線表勤務者を八名としているが、右予備線表勤務者のうち四名は実際は定員上本務者であり、勤務指定表作成の便宜上予備線表に組込まれているだけで予備定員といえる者は四名である。加藤美視は予備線表中に勤務指定されているが、同人は昭和四九年六月一二日より肺結核で長期病休となり本件当時一〇か月目に入つており、医師の診断からもその後も相当長期間治療が必要とされ、一年間の病休は必至で休職となる寸前である者であつた。従つて同人は、実質は勤務につくことが出来ないことがあらかじめ明らかであつたものであるが、被告は本件まで九か月以上漫然と名目上予備員として予備線表に勤務指定し続け、四名配置すべき予備定員を実際は三名しか配置していなかつたものである。従つてすでに一名定員が不足していたものである。

(2) また、郵政省には臨時補充員任用規程があり、休職者の生じた場合等を対象としているが、右の加藤美視のような休職となることが確実な程の一〇か月目に入つたような長期病休者の生じた場合、右規程により臨時補充員を採用することもできるのに被告は右規程を運用していない。

(3) 郵政省では予備定員制度とあわせ欠務後補充のため非常勤雇用のための賃金措置をとつており、一週間以上の病休による長期欠務及び訓練後補充に備えているが、被告は本件当時非常勤雇用を怠つていた。

なお、名鉄郵局では、従前も年末年始、夏季繁忙期等に多数の非常勤を雇用して乗務させ、また本件以降には第二乗務課において平常時に非常勤を雇用して乗務させていた。本件当時でも多数の乗務経験のある退職者がいたのであるから、非常勤雇用の可能性はあつたというべきであり、非常勤が一名確保できていれば原告の代替乗務をすることができたものである。

(4) 鉄郵局においては制度として駐在係の乗務経験者を乗務係の予備として兼担発令し年休取得時の人員を確保する方策もとられているのであり、豊橋分局においては、現に兼担制度が実施されており、岐阜分局においても、岐富線の乗務員には、予備員が制度上二名しかいないところ、駐在員の兼担発令をして、四名という形で行なつており、第二乗務課についても本件以前実施をした経験もあり、運用を適正にすれば兼担制度を維持し人員確保が可能であつたところであるが、被告はそれを怠り中止したままにしていたものである。

さらに、制度として兼担発令をしなくとも、第二乗務課駐在係には乗務経験者が九名いたのであり、随時兼担発令をすることも可能であつたところであるが、被告はそれをも怠つていたものである。

(二) 時季変更権行使の恣意性

原告は、全逓信労働組合(以下「全逓」という)の組合員であつて、全逓が指令した昭和五〇年三月二七日のストライキ体制の確立のために本件年休請求をしたものであるが、同目的で年休請求をした者は他に次の六名がいた。

第二乗務課、守屋進、 三月二四日~二六日

同    、伊神敏雄、三月二六日

同    、丹羽紘、 三月二三日~二五日

第一乗務課、鷲見忠信、三月二五日・二六日

同    、山本忠克、三月二五日

同    、舟橋定男、三月二五日・二六日

原告は、右のうち第二乗務課所属の三名と共に昭和五〇年三月二二日年休請求書を提出したが、大石課長は恣意的に原告についてのみ服務差し繰り困難として時季変更権を行使したものであり、権利の濫用というべきである。

(三) 欠務後補充の努力の放棄

大石課長は、原告が三月二四日に出勤しなかつたのを現認しながら、その後全く後補充の努力をしていない。三日勤務の途中からの乗務は従前にも例があつたのであるから、原告の欠務の後補充をしようと思えば大石課長が命ずればいつでも可能であつたのにこれを怠つたのは、業務怠慢であり、原告を処分するために意図的に欠務のまま放置したものである。

3  懲戒権の濫用

仮に本件における時季変更権の行使が適法であつたとしても、単なる賃金カツトにとどまらず懲戒処分まで付するのは、以下の諸事情を考慮すると、原告に極めて苛酷なものであり懲戒権の濫用として無効というべきである。

(一) 時季変更権の行使がなされ、これに応じないで欠務したものに対する懲戒処分の適法性は、他の一般の欠勤を処分事由とする場合と同様、その動機、目的、欠務による業務阻害状況など諸般の事情を総合的に勘案してなすべきものであるが、とりわけ、時季変更に応じないでした欠務には、他の場合には認められない次のような考慮すべき事情がある。

すなわち、使用者による時季変更は「事業の正常な運営を妨げる場合」であることを理由にしてなされるが、何をもつて「事業の正常な運営を妨げる場合」というかということさえ定かではなく、判例をみても、見解の対立が看取される実情にあるばかりか、事業運営上の支障ということになると、それ自体本来的に使用者がその権限と責任においてなしていることであり、すべて使用者側の事情であつて、労働者には知る由もない事項であるということである。時季変更がなされても、使用者が具体的にいかなる事業運営上の支障を理由とするものかを労働者に説明することは、法的には義務づけられていないし、かりに説明がなされたとしても、ほとんどの場合、労働者には、その真実性を確認する方法は与えられていないのである。本件の場合も右のような説明は全くされていない。したがつて、使用者によつて時季変更がなされても、労働者にとつては、それが適法なものかを判断することは極めて困難である。

かくして、時季変更に納得できない労働者は、納得できないまま時季変更に応ずるか、あるいは、時季変更に応じないで権利行使をするかという極めて困難な選択を迫られることになる。通常の欠勤には、このような困難は伴なわず、ほとんどの場合は、就労義務があることを明確に認識しながら欠勤するのである。

以上のことを考慮するならば、時季変更に応じないで欠務した場合に、時季変更が適法であるからといつてそのことを理由に懲戒処分まで直ちに適法とすることはできない。また、実際問題としても、このように解さないかぎり、労働者は、時季変更がなされたときは、懲戒処分の危険を冒す覚悟がなければ、これに従うほかないこととなり、かくては、年休時季選択の自由の原則は、画餅と帰することになりかねない。

(二) 使用者の時季変更権行使にもかかわらず、欠務をした労働者は、欠勤したものとして賃金カツトおよび就業規則、労働協約などに定められた欠勤に伴なう不利益を科せられることになる。この不利益は、一般的にいつて必ずしも小さなものではない。この不利益を取り戻そうとすれば、労働者は、裁判所に対して訴え、時季変更は違法であり、欠務は適法な年休権の行使であつたことを証明しなければならない。この負担だけ考えてみても、ほとんどの労働者は、権利主張を断念して時季変更に応じざるを得ないのが実情である。しかも、時季変更は、労働者の権利行使を使用者の事情によつて拒むものであることをも併せ考えると、時季変更に応じないでした欠務を処分事由として懲戒処分に及ぶことは、一般的に労働者の行為に対してあまりにも過大な責任を科するものといわなければならない。

(三) 使用者による時季変更は、本来労働者が自由に時季指定をして取得できるはずの年休を使用者が自らの事業運営の必要を理由に拒むものである。そして、特に本件では前記の「原告の主張及び再抗弁」1・2のとおり、予備員の配置も十分でなく、服務差し繰りも十分に努力されたとはいえなかつた。

4  本件懲戒処分の背景

(一) 郵政省は、昭和三〇年代半ば以降、全逓敵視の政策をとりはじめたが、東海郵政局で全逓敵視政策がみられるようになつたのは昭和四五年以降であり、それ以降管下の郵便局の全逓組合員に対し、処分が一層濫発されるようになり、昇任・昇格差別、全逓脱退工作、第二組合結成、Uターン人事差別、郵政宿舎入居差別等の攻撃が加えられてきた。特に名古屋鉄郵局では、昭和四五年以降も全逓が一〇〇パーセントの組織率であり、第二組合のない郵便局として愛知県下でも唯一の大きな郵便局であつたため、昭和四九年七月一二日に刑部守之局長(以下「刑部局長」という)が局長に就任して以来以下のとおりの様々の攻撃が加えられた。

(1) 東門線日曜減配強行

昭和四九年九月一日刑部局長は、東門線(東京・門司間のうち浜松・大阪間)の日曜日の乗務員を物数が少ないとして従来の定員より一名削減する措置をとつた。これは、全逓との話し合い、団体交渉を十分おこなうこともなく、全逓の反対を押し切つて強行された。労働条件の変更については労使双方で交渉し、合意に達したら実行していくという旧来の職場の慣行を刑部局長は、一気に破棄してしまい、これ以降、業務運行も、ほとんど労働問題として当局は把握するようになり、旧来と違つて、すべての問題が庶務課長、局長で決定されるようになつた。

(2) 第一乗務課新年会

昭和五〇年一月二五日に局長、次長出席のもとに第一乗務課内務者及び乗務主事のみに働きかけて新年会がもたれた。新年会を開くことや局長及び次長が出席することはないことではなかつたが、一般乗務員には全く連絡あるいは働きかけがなかつたことや通常は内勤部門のみで開かれるのに乗務主事及び総括係を参加させていることからすると、当局が意識的に全逓を排除して内部固めのために開いた新年会であることは明らかである。

(3) 内勤分会員の集会

昭和五〇年三月二日一宮方面に内勤分会の一部のものを集めて集会がもたれたが、これに犬飼鉦一次長(以下「犬飼次長という)が出席していた。こうした集会・会合を持つ場合には、これまで必ず組合に対し連絡等があつたのであり、この集会が秘密裏におこなわれており、その前後の流れからすれば全逓敵対の会合であつたことは明らかである。

(4) 豊橋分局長の組織介入発言

昭和五〇年四月一日豊橋分局長が新規採用職員に対し試用期間の六か月は白紙のままいてほしいという旨の訓示をおこなつた。これは、組合に加入しないでほしいということを間接的に言つたものであり、組合運営に対する明らかな介入であつた。

(5) 光雲殿事件

昭和五〇年一〇月一五日内勤の一二名の全逓組合員が名古屋市内の光雲殿という結婚式場に集まつた。その席に、犬飼次長が参加しようとしていたが、組合員に発見され、会合には参加せず引き返した。この会合に参加した一二名は全員、その一か月余後に行なわれたスト権ストには参加せず脱落したのである。これらの会合も、全逓切り崩しのためおこなわれた会合であることは明らかである。

(6) 人事異動による「スト権スト」脱落・全逓脱退工作

当局は、前述の集会・会合にあわせて、人事異動を最大限利用して全逓弱体化をはかつた。なお、( )内は異動の内容である。

<1> 昭和五〇年九月五日 水谷(第二乗務課駐在→会計課)

森(会計課→庶務課)

一〇月一六日 児玉(計画課→庶務課)

加藤(第二乗務課→調査課)

坂田(第二乗務課→会計課)

村瀬(岐阜分局→計画課)

これらの人々は、いずれも全逓に対してあまり協力的でない人であり、名古屋鉄道郵便局の中枢という五階の事務棟に移した。内勤という一種のエリートコースに乗せることによつて全逓から離反させ、全逓弱体化のために人事異動が利用されたのである。このため、これらの六名は直後のスト権ストから脱落し、翌年には全逓から脱退していつた。この時期は、例年これらの人事異動はない時期であり、極めて異例な措置であつた。

<2> 昭和五〇年五月二〇日第一乗務課主任であつた村上継光を豊橋分局主事に異動し、昭和五一年二月一八日計画主事に異動した。この結果、同人は「スト権スト」に脱落し、昭和五一年三月三〇日全逓を脱退した。右人事は、前任者(矢野和之)と比較しても異例の短期間の昇進であり、特別な意図をもつた優遇人事といわざるを得ない。

(二) 本件についても、原告の本件年休の使用目的が昭和五〇年三月二七日からの全逓のストライキの準備であることを十分知悉して、右ストライキ準備の妨害のために右の全逓敵視政策の具体的なあらわれとして時季変更権が行使されたことは明らかである。また、その結果本件懲戒処分がなされたものである。

六  原告の主張に対する認否

1  原告の主張1(一)(1)の事実は争う。

名古屋鉄郵局においては、各便とも、正常な業務運行を確保するために必要であるとして計画された数の乗務員を配置して業務を運行しており、原告が主張するような事実はない。職員自身の急病、あるいは、親族、縁者等の死亡、危篤、急病、出産など社会通念上やむを得ないと認められる事由が突発的に発生し、後補充措置をしようとしても全くなしえなかつたがため、業務の運営に支障が生じるのも覚悟の上で、例外的に年休又は特別休暇等を付与し、かかる場合に欠務者のある状態のままで運行した事例が皆無ではないが、かかる年休の付与は、業務の運営に支障が生じると予想され、換言すれば労基法三九条三項但書の事由が存したにもかかわらず、社会通念上やむを得ない事由のため、職員管理上の配慮として時季変更権の行使をさしひかえたものである。

2  同1(一)(2)の事実は否認する。

内規「未処理郵便物の処理方について(計第九号四九・三・一)」は、災害等の突発的な事故、その他真にやむを得ない事由により車中業務の完全処理が不可能となつた場合のものであり、本件の場合におけるような欠務発生の際の処理のために定められたものではない。

3  同1(二)(1)は争う。

本件当時第二乗務課の日常の年休請求方法の実態は、事前に口頭で服務主事に年休のほしい日の服務状況を打診し、服務主事は、基本線表勤務者が休暇等で休む場合の穴埋めは予備線表勤務者で行なうことから、勤務指定表・旅行命令簿をみて、予備線表勤務者に余裕があるかどうかを調べ、服務差し繰りが可能の場合は、同変更欄にまず鉛筆でメモをしておく方法をとつていた。これは、乗務係における勤務形態が特殊であることから、常に乗務員の服務状況を右勤務指定表上に明確にしておく必要があつたためである。このことからも明らかなように、服務差し繰りが可能かどうかは、もつぱら勤務指定表を検討することによつて十分判断することができたものである。

4  同1(二)(2)の事実は争う。

労基法は、週休日(休日)と年休を比較した場合、少なくとも年休が週休日に優先するものとはしていない。労基法の精神からいえば、週休は年休に優先し、また、年休が競合した場合の優先順位については、先に時季指定がなされ、それに対し使用者が時季変更権を行使しない旨表明してある者の年休がある場合には、右年休は、その後に時季指定された他の者の年休よりも優先するのは当然である。したがつて、本件の場合において、原告に年休を付与するため他の職員の週休日又はすでに時季変更権を行使しない旨表明された年休を当然に変更しうるものではない。もし、すでに時季変更権を行使しない旨表明した年休についても当然にこれを服務差し繰りの対象とすべきであるとするならば、仮りに原告の時季指定によつて、三月二四日、二五日及び同二六日の年休が付与されることになつたとしても、その後において、また新しく他の者によつて右期日にかかる年休の時季指定がされた場合、当然原告の年休についてもこれを服務差し繰りの対象としなければならないという論理的矛盾が生じることになる。

右のことから明らかなごとく、使用者としては、一旦決定した職員の週休日や年休を後日、時季指定された年休のためにさらに変更するというようなことは原則として許されるべきではないといわなければならない。

ただ例外として社会通念上やむを得ない事由の存する場合に右のような事例がありうることは否定できないが、こうした事例は労基法三九条三項ただし書きの事由の存否とは別の問題である。

5  同1(二)(3)の事実は争う。

そもそも乗務中の職員に対し、各停車駅に連絡をとる等しての事情聴取及び勤務指定の変更の通知は、乗務の特殊性から困難な状況にあり、現実にもそのような取扱いは行なつていなかつた。

また、非番日に指定された三名については、当時非番日に指定されている者については、鉄郵局における非番日制度の趣旨を充分考慮し、原則として、当該職員の理解を得て勤務指定の変更をすることは行なつていなかつたものであり、さらに、右三名は、いずれも基本線表勤務者であつたところ、当時、基本線表勤務者の勤務指定の変更を行なうことについては、組合が反対し、関係職員も納得しない状況にあつたことから右変更は行なつていなかつたというのが職場の実態であつたので右三名の勤務指定表に基づく検討の段階ですでに可能性がないと判断されたものである。

さらに、右三名のうち熊野勝章については、仮に三月二四日の非番日を変更できたとしても翌二五日から三番勤務に指定されていたため、その代替乗務者の確保が困難な状況にあつたので、結局同人の勤務指定を変更することができないと判断されたものである。

そして、残る渡辺泰夫、小林久夫の二名については、三月二三日が五番勤務の最後の日となつていたが、右五番勤務を行なつた場合には、職員の健康管理面からその勤務に引き続き必ず非番日又は週休日をおくよう配慮していたという勤務指定の実態であつたので右二名の勤務指定の変更もできないと判断されたものである。

6  同1(二)(4)の事実は争う。

「郵便業務管理」の記載は、いわゆる静止局における内務事務の場合を前提としたものであつて、鉄郵局の場合には妥当しない措置である。すなわち、いわゆる静止局と異なり、勤務場所そのものが移動していくという鉄郵局の場合には、本来常態的に本局にいなければならない副課長とか課長代理が、例えば本件原告が乗務すべきであつた六番勤務に乗務したとすると、第一日目に松阪まで行き、同所で宿泊し、翌日は松阪から新宮までを往復して再び松阪で宿泊し、翌々日の午後一時八分に名古屋に戻つてくるということとならざるを得ないことになり、このことが本来の管理業務に重大な支障を来すことは明らかであるから、鉄郵局の管理者には妥当しないいわば、無関係なものであるといわざるをえない。

さらに、そもそも副課長、課長代理等には本来の管理業務があるのであり、副課長、課長代理が乗務せざるを得ない状況そのものがまさに労基法三九条三項ただし書きの「事業の正常な運営を妨げる場合」にほかならないものというべきである。

もつとも真にやむをえない事由で緊急を要する等の場合に、管理者等が乗務することが全くないわけではないが、このような場合に管理者等が乗務したことをもつて、時季変更権行使の判断に当つて考慮すべき措置として管理者等の乗務を求めることはできないものである。

7  同1(二)(5)の事実は争う。

原告主張の勤務指定の変更可能例は、原告の年休を付与することのみに力点をおき、全体の業務運行や他の職員の事情、都合等については全く考慮されていないものであり、これらの点を総合的に考慮すれば、別紙4ないし8の勤務指定の変更は困難である。

8  同2(一)冒頭の事実は争う。

名古屋鉄郵局においては、本件当時も含めて職員一人当たり年間の年休取得日数は、約二〇日前後となつており、したがつて、年休が競合したときの時季変更権の行使の場合は格別として、右事実からみても原告の主張するような年休の自由が妨げられているという状況は全くないのである。

9  同2(一)(1)の事実のうち、加藤美視が本件当時療養中であつたことは認め、その余は争う。

右加藤は本件当時療養中であつたために当時名古屋鉄郵局においては、駐在係の職員で、乗務資格のある人に乗務係への担務替を働きかけたが、希望するものもなく、また非常勤職員を雇用すべく努力したが、乗務員の勤務の特殊性から、適当な人がいなかつたという状況にあつたのである。

しかるところ、たまたま第一乗務課職員倉橋照夫が、昭和四九年一二月一日高血圧Bと判定され、深夜勤激務禁止となつたことから、同日付けでもつて、深夜時間帯に列車の動くことのない第二乗務課兼務となつた。そこで、同人の健康状態を考慮しながら、乗務員の不足を生じるときに乗務事務をさせる等して、右加藤の療養による不足をも補完していたのである。

また、予備線表勤務者は、前記のとおり一勤務指定期間(二八日)のうち、基本線表勤務者のみでは不足する六三名分及び基本線表勤務者が休暇等によつて勤務しない場合の不足分に充当されていた。そして、予備線表勤務者は倉橋を除いて八名であり、一勤務指定期間の延人数は一六八名(八名×二一日)となるので右基本線表の不足六三名を充当した場合、一〇五名の予備線表勤務者が余剰となる。この一〇五名を基本線表勤務者及び予備線表勤務者の休暇に充当することとなるが、その一年間における延人員は約一三六八名(105名×365日/28日)となり、これを職員一人当たりでみると、休暇等によつて勤務しないことが可能な一年間の日数は約四七・二(一三六八名÷二九名)となる。

従つて、右のとおり、第二乗務課乗務係においては、休暇要員を十分に考慮した人員配置がなされていることは明らかである。

なお、加藤が病休中であることを考慮しても、右職員一人当たりの日数は三七・七日となつており、さらに、倉橋を乗務させることにより加藤の病休による不足を補完していたことを考慮すれば、同係の人員配置が休暇要員を十分に考慮したものであることに何ら変わりがない。

10  同2(一)(2)の事実は争う。

郵政省臨時補充員任用規程による臨時補充員を任用できる場合とは、<1>休職者が発生した場合、<2>郵政事業の合理化等に伴い過員の発生が予想される局所またはその周辺の局所またはその周辺の局所において欠員が発生した場合、<3>国家公務員採用試験の結果に基づき作成された採用候補者名簿に記載されている者のうち、当該官職への採用を希望する者がいない場合及び郵政省職員採用規程別紙「職員採用試験実施要綱」に基づく採用試験合格者がいない場合、の三つの場合に限られているものであつて(郵政省臨時補充員任用規程運用通達二条関係)、病休中の職員の後補充として臨時補充員を任用することは認められていない。

11  同2(一)(3)の事実は争う。

事業の正常な運営は、当該職場における当日の業務運営に必要な人員が確保されることによつて達成されるものであるが、必要な人員の確保の方法は、従来から当該職場で行なわれてきた通常の方法をもつて足り、通常の方法を超えて欠員補充等の措置をとることまでは要請されるものではないというべきである。そして、本件当時、名古屋鉄郵局第二乗務課においては、退職者を非常勤として雇用したことはなく、このような方法は同課における欠務補充あるいは要員確保の通常の方法とはいえないものである。

12  同2(一)(4)の事実は争う。

第二乗務課において担当している運送便(名松線、松和線)については、本件当時も含めて以前から兼担は、制度としてもまた、随時的にも実施していなかつたのであるから、同課における要員確保の通常の方法ではなく、前項のとおり通常の方法を超えた措置をとることまでは要請されるものではないというべきである。

13  同2(二)の事実のうち、昭和五〇年三月二二日に原告が第二乗務課の守屋進と丹羽絋と同時に年休請求書を提出したことは認めるが、その余は争う。

原告の本件年休請求については、第二乗務課駐在係の守屋進、同係丹羽絋の年休請求書と同時に、同課水野副課長が同課駐在係川島勉から受領したものであるが、同課乗務係に所属する職員は原告一人であり、他はいずれも同課駐在係所属の職員であつたのである。ところで、乗務係と駐在係は前記のとおり根本的に相違する作業を行なつている。したがつて、職員の年休請求等に伴う服務差し繰りの検討に際し、右乗務係と駐在係相互間の服務差し繰りは、格別な事情(例えば、第二乗務課の乗務係担当から駐在係担当となつてあまり年月を経過していない職員がいる等の理由で、同職員によつて服務差しくりが可能な場合)が存する場合はともかく、その他の場合は、結局、乗務係の作業内容が右の特殊性を有することから代替が困難であつて、その服務差し繰りもまた乗務係のみで行なつていたのであり、かつ、行なわざるを得ないものなのである。

以上のことから、原告の本件年休請求に対する時季変更権の行使にあたつては、何ら恣意的な要素が入りこむ余地のないものであつたことは明らかである。

14  同2(三)の事実は争う。

本件年休は、前記のとおり原告自身の時季指定そのものが消滅し、あるいは、適法な時季変更権の行使によつて他の時季に変更されたものであるから、原告は三月二四日から二六日までの三日間について勤務に就くべき義務があつたところ、右三日間みだりに勤務を欠いたため、国家公務員法所定の条項に基づいて本件懲戒処分に付されたものであり、原告の右欠務は、被告が結果的にその後補充の措置をしたか否かにかかわらず、同法の懲戒事由となるというべきである。

また、被告は、右三日間の原告の欠務について事後的にも後補充の措置をとることができなかつたものであるが、これは、被告が本件年休に対して時季変更権を行使せざるを得ない事情にあつたことの必然的な結果であるが、右のような事情の下で後補充の措置をとるとすれば、そのためにまた別の業務支障が生じることは当然であり、あるいは、結果的に業務支障の生じない措置が可能であつたとしても、これらの場合、いずれも時季変更権行使の成否に消長をきたすものではない。事業の正常な運営を妨げる事由の存否は、その判断が事前のものであるため、結局その支障発生の蓋然性を窺わせる事情が存在すれば足りるというべきだからである。

15  同3(一)ないし(三)の事実は争う。

鉄郵局では、その業務の正常な運営が阻害されると、集配郵便局の郵便業務に影響を与え、結果として郵便遅配等を生ぜしめ、ひいては郵便事業に対する国民の期待と信頼を裏切ることにもなりかねない。それゆえ、鉄郵局においては、業務の正常な運営を確保するための職場における服務規律は特に厳正が要請されるのであり、名古屋鉄郵局でも常に厳正に対処してきた。たとえば、勤務指定の誤認あるいは過眠等によつて職員が遅刻し、指定された便に乗務できなかつたような場合においても、将来を戒め反省を求めるために懲戒処分を行なうなどの措置をとり、もつて職場規律の維持確立に努め、業務の正常な運行に万全を期しているものである。

そして、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかの決定は、懲戒権者の裁量に任されているものと解すべきである。そして、右の裁量は、恣意にわたることを得ないものであることは当然であるが、懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とならないものであり、本件懲戒処分は、社会観念上著しく妥当を欠くものとはいえないというべきである。

16  同4(一)、(二)の各事実は、いずれも否認する。

同4(一)(1)の事実については、東門線では乗務員の乗務する便数が一日上り下り便を合わせて二三便あり、これに一二一名の乗務員が乗務しているが、右各便とも日曜日には車中取扱い量が通例的に少なくなり、平日どおりの配置人員では余剰配置となる便もでてくる状況にあつたので、このうち特に取扱量的にみても配置人員に余剰があり服務組合わせ上も支障のない三便を選び、単人員では二名を減じて日曜日には一一九名で運行することにしたものである。右の措置は日曜日には一人でも多くの職員を休ませたいとの配慮もあつたのであり、また、右措置については、所閧フ方式に従い労働組合に説明済みのものであつて組合に何らの説明もなしに一方的に実施したものではない。

同4(一)(2)の事実については、第一乗務課の有志により計画されたものに招待をうけたのにすぎない。

同4(一)(6)の事実については、従前の例でも現に昭和四八年には、一〇月中旬から一一月中旬にかけて管理者二名、一般職員五名計七名が異動し、翌四九年にも一一月に一般職員二名が異動しており、年末繁忙を控えた時期には通常人員異動を行なわないということはない。また、村上継光の異動は「主事」から「主事」への単なる配置換であつて人事上の昇進には当たらない。

第三証拠<省略>

理由

一  原告の身分及び本件懲戒処分の存在

原告の身分に関する請求原因1の事実及び本件懲戒処分に関する同2の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  本件懲戒処分に至る経緯

1  抗弁1の事実のうち、原告が昭和五〇年三月二四日から二六日までの本件年休請求をしたこと、これに対し、大石課長が時季変更権を行使する旨の通告をしたこと、同2(一)の事実、同2(四)の事実のうち、原告の本件年休請休に対し、大石課長が三月二七日、二八日、二九日の他時季振替する旨告げたこと、原告が「それなら要らない。」と返事をしたこと、同2(六)の事実のうち、原告が三月二四日から二六日の三日間出勤しなかつたことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に成立に争いのない乙第一号証、第九号証の一、二、証人大石三夫の証言により真正に成立したものと認められる乙第二号証、第四号証、証人横井暢三の証言により真正に成立したものと認められる乙第三号証、第一八号証、証人瀬古昇の証言により真正に成立したものと認められる乙第五号証、証人大石三夫、同横井暢三、同瀬古昇、同米本秋弘(以上については、いずれも後記認定に反し採用できない部分を除く。)、同水野馨の各証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば以下の事実が認められる。

(一)  原告は、昭和五〇年当時、支部の執行委員の地位にあつたが、全逓が同年三月二七日にストライキを実行する旨の指令をしたため、同月二四日から二六日の三日間にストライキに入る態勢を確立するための準備のオルグ活動を行なおうと考え、六番勤務が指定されていた右三日間につき年休を請求することにした。そして、同月二二日午後七時三〇分ころ、第二乗務課職員で支部執行委員であつた川島勉が、原告の使者として、原告が右三日間の時季指定をした本件年休請求の請求書を、自席で執務中であつた水野副課長に対し、「この年休を頼む。」と言つて提出した。なお、この際、右川島は、原告の右年休請求書と同時に、第二乗務課駐在係の丹羽絋(支部長)の同月二三日から二五日までの年休請求書と同守屋進(支部執行委員)の同月二四日から二六日までの年休請求書を提出した。そして、これに対し、同副課長は、服務担当の主事がいなかつたため、「一応受取つておくが、付与するか他時季振替するか、明日、服務係が出勤してから通知する。」旨申し向けると、川島は「そうやな。」と言つて立ち去つた。

なお、当時第二乗務課では、職員が年休の請求をする場合、服務係に口頭で打診し、年休が取得できる場合に請求書を提出するということが多く、直接請求書を提出して時季指定をすることは少なかつた。但し、どうしても年休が欲しい場合には請求書を出すこともあつたが、その場合でも服務差し繰りが困難な場合には服務係がその旨説明し、請求書自体を返すというような取扱いがなされることが普通であつた。

(二)  水野副課長は、翌二三日午前八時ころ、服務担当の米本代理に右年休請求書を渡し、服務差し繰りの可否について検討するよう指示した。米本代理は、服務担当の金井主事と二人でこれを検討したが、原告の本件年休請求については服務差し繰りが困難であると判断し、同日午前一〇時ころ、大石課長にその旨報告した。その報告を受けた大石課長は、更に服務差し繰りの可否を再検討させるため、右二名の服務担当者の他に服務関係に精通していた横井代理を呼んで三名で再検討するよう指示した。そして、右の三名は服務差し繰りを再検討したが、結論は変わらず、午前一一時ころその旨の最終報告を受けた同課長は、本件年休請求に対し、時季変更権を行使し他時季振替をすることにした。

(なお、服務差し繰りの具体的な状況、時季変更権行使の適法性については、後に判断する。)

(三)  大石課長は、原告が同日週休日であつたため、本件年休請求につき時季変更権行使の通知方法を検討していたところ、午後一時すぎころ、たまたま原告が支部の組合事務室に居るのを発見し、同事務室入口へ行つて原告に対し、服務主事席に来るよう伝えた。そして、同一時二六分ころ原告が服務主事席に来たが、その場には、同課長の他、横井代理、米本代理、金井主事の三名が立会していた。そして、同課長は、原告に対し、本件年休請求書を示しながら、「竹山君、この年休は服務差し繰り困難であるから、三月二七日、二八日、二九日に他時季振替をする。」と通知した。これに対し原告は、「その日は希望しません。二四日から欲しいんだ。」と述べたため、同課長は更に「その日は差し繰り困難であるから他時季振替をします。」と言つた。すると、原告は、「それなら要らない。」と答えて部屋から立ち去つた。原告が部屋を出ようとした際、同課長は、「それでは二四日から所定のとおり勤務しなさい。」と言つたが、原告は時季指定をした期間を変更する意思がなかつたため右の言葉に耳を傾けず、何も答えずそのまま部屋を出た。ところが、同課長らは、原告が「それなら要らない。」と答えたことから、原告が本件年休請求(時季指定)を撤回したものと判断した。

なお、証人大石三夫、同横井暢三、同米本秋弘の証言中には、大石課長が「それでは二四日から所定のとおり勤務しなさい。」と言つたのに対し、原告が小さな声で「はい。」と答えた、との証言部分が存するが、原告本人尋問の結果及び原告が三月二四日から二六日までの三日間につき実際に勤務しなかつたこと(前記争いのない事実)に照らし、直ちに採用することができず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。

(四)  三月二四日、原告は、六番勤務の勤務開始時刻である午後二時三〇分になつても出勤しなかつた。そこで、大石課長は、原告に電話連絡しようとしたが、連絡すべき電話番号が不明でこれを調査しているうちに六番勤務の名松線下二号便の発車時刻である午後三時二一分を経過してしまつた。原告方に電話がないことが最終的に判明したのが午後三時三〇分ころであつた。そこで、同課長は、横井代理とともに車で一〇分ほどの距離にある原告の自宅へ出向くため出発しようとしたところ、たまたま同日午後三時五〇分ころ、原告が第二乗務課乗務係の勝谷修身及び同加藤年秋とともに支部組合事務室へ入室するのを発見した。このため同課長は、瀬古代理に立会してもらうために連絡し、午後四時ころ、瀬古代理と同事務室へ行き、原告に対し、「竹山君、勤務時間中だ。就労しなさい。」と命令したが、原告は黙つたままで就労するような様子を示さなかつた。また、瀬古代理も「課長が就労命令を出している。就労しなさい。」と告げた。これに対し、事務室内に居た者は、口々に「無断で入室するな。」などと言つていた。そして、支部執行委員であつた伊神敏雄と内藤和夫の両名が同課長らを扉の外へ押し出し外から扉を閉めた。瀬古代理が右伊神に対し、原告を呼ぶように言つたところ、伊神は扉を少し開け、「呼んどるぞ、行くか。」と室内に向けて言つた後、「竹山君は行きたくないと言つとる。」と言つて扉を閉めた。瀬古代理は、さらに伊神、内藤に対し、「勤務時間中の竹山君に就労命令を出しているんだ。妨害するな。」と言つたが、伊神らは扉を開けなかつたので同課長ら両名はその場を引きあげた。

その後、同日午後四時二〇分ころ、原告が食堂において、右勝谷及び加藤とともに何かを書いていたのを発見した同課長は、瀬古代理と一緒にその場へ行き、原告に対し、業務命令書により就労を命じたところ、原告は、これを受取り、勝谷らに対し、「組合へ持つて行こか。」と小声で言つたが、その後も右命令には従わず組合事務室に出入りするなどしていた。

(五)  そして、原告は、右の三月二四日から二六日までの三日間出勤せず、六番勤務の同月二四日の名松線下二号便、同月二五日の松和線下一号便及び上一号便、同月二六日の名松線上一号便の合計四便は、後補充がなく、いずれも乗務員一名欠員のまま運行された。

なお、大石課長は、三月二五日、二六日の両日にも原告の姿を見かけたが、原告に対し何も言わなかつた。

また、同二五日、二六日の段階で、欠員の後補充のため職員に連絡するなどはしなかつた。

(六)  そこで、被告は、原告の右行為が国家公務員法九八条一項、一〇一条一項前段、及び九九条に違反し、同法八二条一号ないし三号の各号に該当すると判断し、右各法条を適用して原告に対し、昭和五〇年五月一四日付で本件懲戒処分を行なつた。

以上のとおり認められ、これに反する証人大石三夫、同横井暢三、同米本秋弘の各証言部分は、前掲各証拠に照らし直ちに採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  本件時季指定の撤回の有無

被告の主張によれば、大石課長が、原告において本件年休請求を撤回したと判断したのは、第一に、同課長が他時季振替をする旨告げたのに対し、原告が「それなら要らない。」と答えたことと、第二に三月二四日から所定のとおりの勤務をするよう告げたのに対し、原告が「はい。」と答えてこれに従うような態度を示した、ということにある。

そこで判断するに、右第一点の「それなら要らない。」との表現については、他時季振替されるなら本件時季指定を撤回するという趣旨と、他時季振替された二七日以降の三日間については不要であり、本件時季指定を維持する趣旨のいずれの場合も考えうるものであり、必ずしも当然に撤回の趣旨とは認められないこと、また、第二点については前記認定のとおりこれを認めることができず、実際にも原告は三月二四日から二六日まで出勤しておらず、本件年休請求を撤回しながら、あえて欠勤したものとは考え難いこと、さらに、成立に争いのない甲第一〇号証の一、前掲乙第一八号証、証人大石三夫、同松本邦平の各証言によれば、職員が年休請求を撤回した場合は、これを明確にするため整理票の余白に請求者氏名、撤回した旨(朱書)、及び日時・場所を記載し保存するよう通達によつて指導されていたのにもかかわらず、本件では、大石課長が原告との具本的な言葉のやりとりを整理票の裏面に記載したのみで、「撤回」という文言を用いず、かつ、朱書することもしなかつたことが認められることを総合考慮すると、原告は、本件年休請求を撤回しなかつたものと認めるのが相当である。

三  時季変更権行使の適否

1  はじめに

年休は、労基法三九条一・二項の要件を充足することによつて法律上当然に労働者に生ずる権利であり、同条三項により、労働者がその有する休暇日数の範囲内で具体的な休暇の始期と終期とを特定して右の時季指定をしたときは、客観的に同条三項但書所定の事由が存し、かつ、これを理由として使用者が時季変更権の行使をしない限り、右の指定によつて年休が成立し、当該労働日における就労義務が消滅する、すなわち、時季指定の効果は、使用者の適法な時季変更権の行使を解除条件として発生するものと解すべきである(最高裁判所昭和四八年三月二日第二小法廷判決、民集二七巻二号一九一頁)。

そして、労基法三九条三項但書にいう「事業の正常な運営を妨げる」事由の存否は、一般的には当該労働者(年休請求者)の所属する事業場を基準として、事業の規模、内容、当該労働者の担当する作業の内容、性質、作業の繁閑、代行者の配置の難易、時季を同じくして年休を請求する者の人数等諸般の事情を考慮して客観的に、かつ、年休制度の趣旨に反しないよう合理的に決すべきである。また、事由の存否の判断は事前に行なうものであるから、時季変更権行使の時点において事業の正常な運営が阻害される蓋然性があれば足り、結果的に阻害を生じなかつたとしても時季変更権の行使は適法であると解するのが相当である。

そこで、以下、本件において前記の諸事情について検討する。

2  鉄郵局第二乗務課における業務運営の実態

(一)  鉄郵局の機能

抗弁4(一)(1)の事実(鉄郵局は国鉄により郵便物を集配局相互間を運送するために設置された郵便局であること等)は当事者間に争いがない。

(二)  鉄郵局の組織と所掌事務

抗弁4(一)(2)の事実(全国の郵便局の設置状況及び鉄郵局の各課の所掌事務等)は、当事者間に争いがない。

(三)  鉄郵局を中心とした郵便物の流れ

抗弁4(一)(3)の事実(各集配局に集められた郵便物が集配局別に区分のうえ、鉄郵局により運送されて受渡局に渡され、各集配局へ送られる流れ等)は、当事者間に争いがない。

(四)  乗務事務の概要

抗弁4(一)(4)の事実(鉄道郵便車で郵便物を運送する際の形態に締切便、護送便、取扱便の三種類あること及びその作業内容等)は、当事者間に争いがない。

(五)  業務の特殊性に基づく代替困難

成立に争いのない乙第一五号証、証人松本邦平の証言により真正に成立したものと認められる甲第三号証、第一二号証、証人勝谷修身の証言により真正に成立したものと認められる甲第一四号証、同証言により原本の存在及びその成立の真正が認められる第一五号証の一、二、証人山本忠克の証言により真正に成立したものと認められる甲第二六号証、証人大石三夫の証言により真正に成立したものと認められる乙第一四号証、証人松本邦平、同山本忠克、同勝谷修身、同大石三夫、同横井暢三の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。

前記のとおり、護送便及び取扱便ともに小人数の乗務員が受渡駅相互間の非常に限られた時間内に、しかも限られたスペースの鉄道郵便車内において、右(四)記載の作業が行なわれる関係上乗務員相互間の共助共援は欠かせないものであり、また、乗務員は進行中の列車内で限られた時間内に正確かつ迅速に郵便物を処理しなければならないほか、自分の乗務している列車の受渡駅とこれに接続している集配局との関係を常に念頭において業務を処理しないと郵便物の引渡し漏れなどの事故が発生することにもなりかねない。たとえば、三重県鈴鹿市内宛の郵便物は、その地域により四日市、鈴鹿(駅名は河原田)、亀山の各受渡局別に区分して各駅へ受渡す必要があり、その他すべての郵便物の地域別区分を念頭に入れておかなければならない。

右のように特殊、複雑な業務であるため新規採用の乗務員の訓練として、内務訓練を二週間、乗務訓練を一週間行なつており、また、ひととおりの仕事を覚えるためには約半年を要する程の業務であつた。

なお、名古屋鉄郵局においては、第一乗務課で年末繁忙期には多数の学生アルバイトを非常勤として雇用して(昭和四九年一二月一四日から同五〇年一月四日までに延三四七名、同五〇年一二月七日から同五一年一月二日までに延二四七名)乗務させており、第二乗務課でも同四九年に四名、同五一年に二名の学生アルバイトを年末繁忙期に非常勤として雇用して乗務させていた。しかし、これは、郵袋の積み卸し等の単純作業については非常勤でも作業が可能であることから、取扱郵袋数が増加する年末繁忙期に学生アルバイトを非常勤として雇用したもので、学生アルバイトはあくまでも本務者の仕事の応援者であり実際にも、本務者である乗務員から仕事の具体的な指示を受けながら作業を進めていくという、いわゆる受渡の補助業務に従事したに過ぎず、本務者の代替要員ではなかつた。第二乗務課では、本件以降、平常時でも非常勤を雇用することがあつたが、乗務経験のある退職者とか、そうでない場合は、乗務訓練をしてから乗務させていた。

以上のように、一般的に、鉄郵局の乗務員の業務は、静止局の場合に比し、他部門の職員をもつて補充したり、非常勤を雇用して補充することが困難な業務であつた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(六)  名古屋鉄郵局の組織と所掌範囲

抗弁4(二)(1)の事実(名古屋鉄郵局の組織と、各課及び各分局の所掌範囲)は、当事者間に争いがない。

(七)  第二乗務課の業務内容

抗弁4(二)(2)の<1>・<2>の事実(第二乗務課の業務内容、第二乗務課乗務係は、一日に名古屋駅、新宮駅間における鉄道郵便車八便に乗務していること、その内訳は名松線、松和線のそれぞれの上り、下り各二便の合計八便であり、すべて取扱便であること、名松線の乗務員は便長、区分、受渡、補助の四名であり、松和線の乗務員は、便長、区分、受渡の三名であること、各担当者の作業内容等)は、いずれも当事者間に争いがなく、証人大石三夫及び原告本人尋問の結果によれば、昭和五〇年三月二四日から三日間の六番勤務における原告の担当は「受渡」であつたことが認められる。

(八)  欠乗の場合の影響

成立に争いのない乙第二四号証の一、二、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第二九号証の一、二、証人大石三夫の証言によれば、鉄道郵便車内の作業は、少数の乗務員で、しかも列車が受渡駅間を走行している限られた時間内に一連の作業を行なう特異な作業であり、乗務員のうちの一名でも欠けることがあると車内乗務を遅滞なく処理することがきわめて困難になること、例えば、松和線下一号便に欠乗事故が生じた場合、鉄道郵便車に積みこまれた郵便物のうち受渡駅で待機中の受渡局職員等に引き渡すことができなかつた分については、当該下り便の終着駅である新宮駅まで運送のうえ、上り便に積み替えこれを他の郵便物とあわせ処理しながら所定の受渡駅まで運送するため、当該郵便物につき、配達が半日ないし一日遅れることもあることが認められる。

(九)  第二乗務課乗務係における勤務形態(勤務の種類)

抗弁4(三)(1)<1>の事実(乗務係の勤務には、一番勤務、三番勤務、四番勤務、五番勤務、六番勤務があり、一番勤務以外は二日あるいは三日連続した勤務であること等)は、当事者間に争いがない。

(一〇)  第二乗務課乗務係の要員配置

抗弁4(三)(2)の事実(四週間を単位とした勤務指定表の作成、基本線表と予備線表による勤務の割り振り及び所要乗務員の確保等)は、当事者間に争いがない。

3  本件時季指定にかかる当日の要員の状況と服務差し繰りの状況

前掲甲第三号証、成立に争いのない甲第一八号証、第四一号証、第四二号証、乙第六号証の一ないし五、第三一号証の一ないし三、第三二号証の一ないし四、第三七号証、証人勝谷修身の証言により真正に成立したものと認められる甲第一号証、第二号証、第一六号証、証人山本忠克の証言により真正に成立したものと認められる甲第二四号証、第二七号証、左端記入部分以外については成立に争いがなく、同部分については証人倉橋照夫の証言により真正に成立したものと認められる甲第三八号証、二枚目一覧表及びグラフ部分以外については成立に争いがなく、同部分については証人倉橋照夫の証言により真正に成立したものと認められる甲第三九号証、証人倉橋照夫の証言により真正に成立したものと認められる甲第四〇号証、証人大石三夫、同横井暢三、同米本秋弘の各証言により真正に成立したものと認められる乙第八号証の一、二、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第一九号証、第二一号証、証人大石三夫、同横井暢三、同米本秋弘(以上いずれも後記認定に反し採用できない部分を除く。)、同勝谷修身、同山本忠克、同松本邦平の各証言を総合すると以下の事実が認められる。

(一)  原告の本件年休請求に対し、前認定のとおり、米本代理、金井主事及び横井代理が勤務指定表、指定変更記録簿により昭和五〇年三月二四日の要員の状況を検討したところ、乗務係二九名中、週休日三名、非番日三名、年休五名、病休一名の合計一二名が欠務予定であつた。

すなわち、基本線表勤務者二一名中、当初から週休日三名、非番日三名が指定されていたので、所要乗務員一八名を確保するために、予備線表勤務者のうちから三名を充当する予定であり、さらに基本線表勤務者のうち三名から年休の時季指定があつたことに伴い、これを補充するため、予備線表勤務者のうちから三名を充当する必要が生じ、結局合計六名の乗務員を予備線表勤務者から充当する必要があつたところ、予備線表勤務者八名中三名の欠務者(年休二名、病休一名)が生じていたので、代替(補充)乗務可能者は五名であつた。従つて、基本線表勤務者からの五名のみでは、なお一名不足しており、そこで、第一乗務課所属で第二乗務課兼務であつた倉橋照夫を右一名の不足に充当して、ようやく必要な一八名の乗務員を確保していた。

(二)  右の具体的な勤務指定変更の経過等は次のとおりであつた。

(1) 基本線表において当初から不足していた三名の乗務員については、これを補充するため、三月一七日ころ予備線表で勤務指定(予備日勤の指定)がされていた村井英雄、進藤昭二、伊藤文男を乗務させることとし、右村井に対しては同月二一日、右進藤に対しては同月二二日、右伊藤に対しては同月二三日に、それぞれ変更簿により勤務指定の変更を命じた。

(2) 三月一八日、基本線表勤務者の島地龍彦から同月二二日ないし二四日と時季指定した年休請求がなされたため、同人の替りに予備線表勤務者の徳武松太郎を乗務させることにし、右徳武に対しては同月二〇日に変更簿により勤務指定の変更を命じた。

(3) 三月一九日、予備線表勤務者の西村典之から同月二四日と時季指定した年休請求がなされたため、同人に対しては同日、変更簿により当該時季指定日の直後の乗務勤務(二五・二六日の五番勤務)を通知した。

(4) 予備線表勤務者の酒井隆義から三月二四日と時季指定した年休請求(計画年休の振替)がなされたため、同人に対し、三月一九日、変更簿により当該時季指定日以後の乗務勤務(三〇・三一日の五番勤務)を通知した。

(5) 基本線表乗務者の勝谷修身は、三月一三日名松線上二号便で帰着の直後、三月二四日と時季指定した年休請求をしたため、その補充として予備線表勤務者の臼井明次を乗務させることにし、右臼井に対しては、同月二一日に変更簿により勤務指定の変更を命じた。

(6) 基本線表勤務者の小椋信夫は、三月一八日名松線上二号便で帰着の直後、年休の時季を同月二四日と時季指定した年休請求をしたため、その補充として第二乗務課兼務の倉橋照夫を乗務させることにし、右倉橋に対しては、同月二二日に変更簿により勤務指定の変更を命じた。

(7) 予備線表勤務者の加藤美視は、長期病気休暇中であつた。

(8) なお、勤務指定の変更は、変更対象となつた勤務の日の前の勤務日の勤務終了までに通知されることになつていた。そして、右の勤務指定権限を有するのは所属課長であり、旅行命令の権限を有するのは被告(局長)であつた。

(三)  米本代理、金井主事、横井代理は、基本線表勤務者が休暇等で休んだ場合の補充は、まず予備線表勤務者を充当して行なうものであることから、三月二四日につき予備線表勤務者に余裕があるかどうかを検討したが、前記のとおり、病休一名(加藤)、年休(酒井、西村)のほかは倉橋を含め六名とも既に乗務勤務の指定がなされていた。すなわち、<1>徳武が五番勤務の二日目、<2>伊藤(文)が三番勤務の一日目、<3>進藤が五番勤務の一日目、<4>村井が三番勤務の二日目、<5>臼井が六番勤務の三日目、<6>倉橋は一番勤務に、それぞれ指定されていた。

なお、右のうちの伊藤(文)については、原告の本件年休請求に対する服務差し繰りが検討された当日である三月二三日に、三番勤務への勤務指定変更がなされているが、同人に原告の六番勤務への勤務指定変更がなされなかつたのは、当初から基本線表勤務者のみでは不足する三月二四日からの三番勤務に同人を充てることとして予定しており、その予定を変更して同人に原告の六番勤務への指定変更をしても、右三番勤務をする者がいなくなることと、同月一九日ころ、同人から同月二六日には週休が欲しい旨の申出があり、これを認めたためであつた。

また、同代理らは、大石課長から、年休の者については、年休として既に決定し、その旨告知していることから服務差し繰りの検討をする際に考慮する必要がない旨の指示を受けていた。

以上の点から同代理らは、三月二四日について予備線表勤務者の中から服務差し繰りをすることは困難であると判断した。

(四)  ところで、当時は基本線表勤務者について勤務指定変更を行なうことは少なく、一勤務指定期間の終了に伴い予備線表勤務者から基本線表勤務者に替わる際に行なわれることのある「突つこみ」と呼ばれる勤務指定変更や、勤務指定されている者同士の合意により変更する「転番」と呼ばれる勤務指定変更、あるいは委員会・会議などに出席することに伴う勤務指定変更などのほかには余り行なわれていなかつた。

すなわち、昭和四九年一一月ころ、二日または三日の連続勤務のうちの一日または二日について組合休暇が与えられたり年休請求がなされたような場合に、残りの日を日勤指定(日勤で駐在係の職務を担当するもの、以下「ブランク日勤」という)したところ、基本線表の乗務係(本務者)が駐在係の職務を行なうのは問題であるとして紛争が生じ、組合は右ブランク日勤に反対した。なお、このころ右の日勤指定に従わなかつた原告及び勝谷修身ほか一名は、後に懲戒処分を受けた。そして、第二乗務課においては、右のブランク日勤の問題が発生するまでは、週休日の振替を含め基本線表勤務者にも話をしてその同意を得て勤務指定変更を行なうこともあつたが、この問題が起きてから、これが解決した昭和五〇年五、六月ころまでは、基本線表勤務者の勤務指定変更を原則として行なわなかつた。

(五)  しかしながら、同代理らは、次に、基本線表勤務者から三月二四日の服務差し繰りが可能であるか否かについても検討したところ、同日は基本線表勤務者二一名のうち、年休が三名(勝谷修身、小椋信夫、島地龍彦)、週休日が三名(前野三郎、山田博司、加藤年秋)、非番日が三名(熊野勝章、渡辺泰夫、小林久雄)であり、他の一二名は、いずれも乗務勤務の指定がなされていたため、この一二名については服務差し繰りの対象から除外した。

そして、右のうち、年休の者については、前記のとおり大石課長の指示に基づき服務差し繰りの対象から除外した。また、週休日の者についても同課長から、週休日は年休に優先するので考慮する必要がない旨指示されていたため、これも対象から除外した。

なお、年休者のうちの小椋について、変更簿により三月二四日を年休とし次の勤務指定をしたのは同月二三日であり、原告の本件年休請求について服務差し繰りの検討をしていた日と同じ日であつたが、小椋の右年休は、その補充として倉橋に対し勤務指定変更を命じた同月二二日の時点で決定していた。

第二乗務課では、週休日の振替(変更)は、予備線表勤務者については本件当時にも行なわれており、また、基本線表勤務者についても、昭和四九年一一月に前記のブランク日勤の問題が起きる以前と、これが解決した同五〇年五、六月以降については行なわれていた。

また、年休の変更をした例はあつたが、これは乗務勤務の予定であつた者の急病、その家族の急病、死亡、親戚の死亡等の社会通念上やむを得ない事由が生じた場合に、年休の者に連絡して変更してもらつたものであつた。

(六)  ところで、郵政省は、昭和三七年九月郵政省郵務局編集にかかる「郵便業務管理」という文書を、現業各局の管理者を対象に郵便業務管理の指針として刊行し欠務後補充の方法について指導していた。これによると、「服務差し繰りによる後補充」として「諸休暇をできるだけ計画的に与えるようにしてもやむを得ない事情で予定しない日に付与せざるを得ないこともある。このような場合、一般的には週休日の振替え、年次休暇の変更等によつて欠務の後補充をすることを考えるが、内務の場合は局情により作業量がピークを示す短時間の事務がうまく処理できればよいこともあるので、そのような場合には、副課長、専務課長代理、専務主事、計画要員(取扱業務量が比較的少ない郵便局では課長も)等から応援の措置をとる。」とされていた。

また、郵政省就業規則六〇条には、所属長が「欠務の発生若しくは業務ふくそうの場合又は急速に処理することを要する業務がある場合において、人員の繰り合わせ上必要があるとき」等の事由に該当すると認めた場合には、週休日の振替を含め勤務指定の一部又は全部について変更することがある旨規定されており、右の「欠務の発生」の欠務については、格別の条件は付されていないので年休、病休、特別休暇を承認された場合もこれに該当するものと解されている。さらに、同省勤務時間規程一九条にも、右と同様の事由があるときは指定された週休日を他の日に振り替えることができる旨規定されている。

(七)  そこで、米本代理らは、前記の非番日の三名について服務差し繰りを検討しようとしたが、服務差し繰りをしていた三月二三日には、熊野が六番勤務の三日目、渡辺及び小林は五番勤務の二日目であり、同日午前中は、いずれも乗務勤務中であつたため事情聴取ができなかつた。なお、熊野については、同日午前一〇時二八分の発車時刻まで松阪駅事務室において、渡辺及び小林については同日午前九時五八分の発車時刻まで新宮駅事務室において待機していたから同事務室あるいは途中駅である亀山駅の事務室へ電話連絡をすることは可能であつたが、これまでそのような方法で連絡するということは行なわれていなかつたため連絡しなかつた。

そして、右熊野については、同月二三日午後一時〇八分に名古屋へ帰る予定であり、同人にあたつてみることも服務差し繰りの際に話題となつたが、米本代理が、基本線表の勤務指定変更については組合が反対しているから事情聴取をしても無駄であり、勤務指定変更は無理であると言つたため、同人の帰るのを待つて事情聴取をするということをしなかつた。当時、組合が全面的に反対をしていたのは、前記のブランク日勤の問題と、休暇、週休日、非番日などの当日になつてからの勤務指定変更であり、基本線表勤務者に対し事前(当日より前)に行なう勤務指定変更自体については、望ましくはないものの絶対に反対であるとまでの態度をとつていたわけではなかつた。但し、個々の組合員の中には、一度指定したものは、そのままにせよということでこれに反対する者もあり、また、服務主事に対し、組合が変更に応じてはいけないというので代わることができない旨述べる者もいた。

また、時季変更権を行使するか否かの判断は通常は当該時季の始期の前日の午後五、六時ころまでにすればよいとされていたが、本件では、大石課長の指示によりいつもよりも早く判断されたものであつた。

なお、被告は、非番日の者は、鉄郵局における非番日制度の趣旨を考慮し、原則として勤務指定の変更をすることはなかつた旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。また、右熊野については、仮に三月二四日の非番日を変更できても翌二五日から三番勤務に指定されており、その代替乗務者の確保が困難であつたので結局同人の勤務指定を変更することはできないと判断した旨主張するが、結果的にそのとおりであつたか否かは、ともかくとして、右の点も検討して判断したとの事実を認めるに足りる証拠はない。

(八)  また、第二乗務課乗務係においては、二日あるいは三日の連続勤務のうち一日あるいは二日のみ乗務して、その余を他の者が補充して乗務するという方法(一つの連続乗務を分割して二名以上で行なうこと)は、本人あるいは家族の急病など社会通念上やむを得ない事由が発生し、人員に余裕のある場合や、勤務体制が一勤務指定期間の途中で変更されたような場合を除いては行なわれていなかつたため、米本代理らは、原告の六番勤務を分割して二人以上の者で補充するといつた方法での服務差し繰りは検討しなかつた。

(九)  名古屋鉄郵局においては、乗務勤務の予定であつた者が急病その他の突発的な事情により欠務するような場合に、副課長、課長代理、総括主事らが代替乗務した例もごく稀にはあつた。第二乗務課でも本件以降の昭和五二年五月三日に横井代理が乗務したことがあつたが、これは四名乗務の予定のところ、そのうちの二名が社会通念上やむを得ない事由により急に欠務することになつたためであつた。本件においては、大石課長は、原告の本件年休時季指定に対し、管理者等を乗務させて後補充するということは一切考慮しなかつた。

(一〇)  また、乗務勤務の指定がなされていた者が、前記の社会通念上やむを得ない事情などにより欠務する場合には、後補充がなされるときもあり(二日間、三日間の連続乗務の途中からの補充もあつた。)、また、後補充されることなく欠乗のまま運行されることもあつた。そして、欠乗のまま運行されるときには、未処理郵便物が発生するのが普通であつた。

(一一)  そこで米本代理らは、三月二四日について、原告の六番勤務に変更しうる者が、基本線表、予備線表のいずれの勤務者にもおらず、服務差し繰りが困難であると判断した。そして、同代理ら及び右の報告を受けた大石課長は、原告が三月二四日から二六日までの時季指定をしてきたものであり、右三日間のうちの二日あるいは一日でもよいとの申出もなかつたことから、本件時季指定が一個の時季指定と考え、さらに、原告の右三日間の勤務が三日間連続の六番勤務であつたため、このうちの三月二四日について服務差し繰りが困難である以上、右三日間とも事業の正常な運営を妨げるものとして全部について時季変更権を行使するのが相当であると判断した。従つて、同代理らは、三月二五日、二六日の一日あるいは二日のみでも年休が認められるかどうかについては服務差し繰りの可否の検討をしなかつた。

(一二)  なお、第一乗務課乗務係であつた倉橋照夫は、昭和四九年一二月一日に担当医から「高血圧B(要治療者)」の判定を受け、深夜勤務及び激務が禁止となつた。そして、同課の乗務は二三便中一四便が深夜勤務であり、一方第二乗務課の乗務は八便すべてが深夜勤務ではなかつたことから、右同日をもつて第二乗務課兼務となり、日勤の駐在の仕事をしながら必要に応じ第一乗務課(深夜勤を除く。)及び第二乗務課の乗務の仕事を行なつていた。また、同人は、同年一〇月三一日の尿検査では(+)(プラス)の、同年一一月二八日の心電図検査では左室肥大の各診断を受け、本件当時も降圧剤を服用していた。

しかしながら、同人は本件当時、疲れ易いということもなく、他に何ら自覚症状もなく、乗務するのを嫌うようなこともなかつた。むしろ、乗務した場合には、乗務手当、乗務旅費などが支給されて収入増となるため、これを希望しており、指示された乗務を拒否したことは一度もなかつた。また、担当医から六番勤務を禁止されていたわけではなく、同人は三日間の勤務であるからといつてこれを断わる意思はなく、現に、本件の直前である昭和五〇年三月二〇日から同月二二日、本件以降の同年四月九日から同月一一日、五月一九日から同月二一日、五月三〇日から六月一日、六月六日から同月八日に、いずれも三日間連続の勤務に就いていた。そして、当時名松線下一号便に乗務する場合には、発車時刻が午前五時五四分であるため前日は名古屋鉄郵局に泊りこむことになつており(前泊制度。但し、昭和五三年一〇月に廃止された。)、右同人が三月二四日に指定されていた一番勤務も前泊が必要であつた。さらに、一番勤務は日帰りではあるが、勤務時間が八六七分(一四時間二七分)であり、一日あたりの勤務時間で比較すると一番長く、六番勤務の一日あたり約四二七分の倍くらいであつた。

なお、証人大石三夫、同横井暢三、同米本秋弘の各証言中には、三月二三日に同月二四日の服務差し繰りが困難であると判断した際、さらに原告から同月二五日、二六日の二日あるいは、いずれか一日の時季指定がなされた場合に備え、服務差し繰りを検討し、そのため当日非番日で二四日に一番勤務が指定されていた倉橋に対して金井主事及び米本代理が電話連絡したところ、同人は体が疲れていることを理由に一番勤務から六番勤務へ変更されるのを断わつた旨の証言部分が存するけれども、右認定事実に照らすと直ちに採用することはできない。

以上のとおり認められ、これに反する証人大石三夫、同横井暢三、同米本秋弘の前記各証言部分は、前掲各証拠に照らし直ちに採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

4  人員配置の状況

前掲甲第三号証、第一二号証、第一四号証、第一五号証の一、二、第一八号証、第二六号証、成立に争いのない甲第一一号証の一、二、第一九号証、証人松本邦平の証言により真正に成立したものと認められる甲第一三号証、証人山本忠克の証言により真正に成立したものと認められる甲第二八号証、第二九号証、第三三号証、第三四号証、証人内村昌浩の証言により真正に成立したものと認められる甲第一七号証、第二一号証の一、二、証人大石三夫の証言により真正に成立したものと認められる乙第一二号証、証人米本秋弘の証言により真正に成立したものと認められる乙第三五号証の一ないし三、証人大石三夫、同横井暢三、同米本秋弘、同勝谷修身、同山本忠克、同松本邦平、同内村昌浩(但し、松本、内村については、後記認定に反し採用できない部分を除く。)の各証言、原告本人尋問の結果を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  計画年休制度と予備定員制度

郵政省は、労働者の年休が完全に消化されず、保有日数が逐年増加していくことに対する対策として、昭和三二年全逓との間で年休に関する労働協約を締結し、計画年休制度を創設した。これは、前年度に未使用となつた日数のうち一〇日に達するまでの日数及び前々年度の発給日数で前年度までに未使用となつた日数について、年度頭初において当該労働者の希望に基づき(但し、これは、前年度分についてであり、希望日に調整できないときは第二次、第三次の調整を行なう。そして、前々年度分については年度頭初から毎月一日ずつ割り振る。)、計画的に年間を通して割り振り、これを消化させようとする制度であつた。

そして、更に、右年休消化の裏付けとして、年休等の後補充要員の雇用の安定を図り、業務運行の円滑化を図るため、昭和三七年四月一日から予備定員制度を創設した。そして、前記「郵便業務管理」では、欠務後補充につき、予備定員は、年休、代替休暇、祝日代休日その他の短期欠務等の後補充のために配置されたものであるから、予備定員は、その趣旨に従い、常に配置された予備定員の数に見合う人員の年休を付与するように配置すべきであること、予備定員配置局では、従来の欠務後補充賃金から予備定員の配置に見合う賃金は減額されるから、予備定員を一般処理要員あるいは集配区の増区等へ流用しないよう指導されていた。

そして、右予備定員の人数は、鉄郵局乗務員の場合、乗務定員×14/100(端数は四捨五入)とされ、駐在員の場合の倍くらいの人数であつた。

(二)  本件当時の第二乗務課乗務員の年休取得状況

郵政職員に対しては、労働協約等により職員一人当り年間二〇日の年休が発給されていた。そして、名古屋鉄郵局第二乗務課乗務係の年休の平均取得日数は、昭和四八年には二〇・九八日、同四九年には一八・三七日、同五〇年には二一・六七日であつた。そして原告の取得日数は、同四八年には三八日、同四九年には一七日と三時間、同五〇年には二三日と四時間であつた。

なお、当時は、乗務員が年休の時季指定をする際、三日間勤務のときは、その三日間の時季指定をすることが多く(そのうちの一日または二日の時季指定をしたことが発端となつて前記認定のブランク日勤問題が発生した。)、実際には三日のうち一日のみの年休が欲しい場合でも、他の二日についての服務差し繰りができないと年休が取得できないということや、逆に一日のみ欲しい場合でも他の不要な二日までも合わせて取得するということがあり、駐在員や静止局の一般郵便職員に比較すると、合計の日数はともかく、希望する日の年休取得という点では右のような制約があつた。

(三)  第二乗務課乗務係の定員

本件当時、東海郵政局は、第二乗務課乗務係について、乗務定員(本務者)二五名、予備定員四名と令達していた。なお、同係では前記のとおり、基本線表勤務者二一名、予備線表勤務者八名としていたが、これは基本線表勤務者を二五名とすることも可能ではあつたけれども、このようにすると二五名の乗務定員の勤務指定の順序が同型にできず各人の均衡を欠くことになるおそれがあるので、これを避けるため二一名としたものであつた。従つて、予備線表勤務者のうちの四名は、定員上は本務者であり、残り四名のみが予備定員であつた。

ところで、予備線表に勤務指定されている加藤美視は、昭和四九年六月一二日から肺結核で長期病休となり、本件当時すでに九か月を経過し、将来、一年間の病休になり、その後病気休職になることが予想しうる状態であつた(右加藤が本件当時病気療養中であつたことは当事者間に争いがない。)。同人は、その後、同五〇年六月一一日まで病休となり、翌一二日から一年間病気休職となつた。

また、前記認定のとおり、第一乗務課の倉橋照夫は同四九年一一月一日から第二乗務課兼務となり、予備線表には同人の氏名も記載されていたが、兼務となつた理由は前記認定のとおりであつて、右加藤の補充という趣旨で兼務となつたわけではなかつた。

(四)  臨時補充員

郵政省臨時補充員任用規定運用通達によれば、臨時補充員を任用できるのは、「原告の主張に対する認否」10項に記載の<1>ないし<3>の場合に限られており、休暇に至らない病休中の者については任用できるものとはされていなかつた。長期病休中の者については賃金による措置を採り、休職者については人員による補充措置をとることとされていた。

なお、この点につき、証人内村昌浩の証言中には、長期病休中の者で休職になることが確実と予想される場合には、右規程の運用として臨時補充員を採用していたとの部分が存するが、右は具体的な供述ではなく、直ちに採用することができず、他にこの事実を認めるに足りる証拠はない。

(五)  非常勤雇用

(1) 前記「郵便業務管理」によれば、欠務後補充について、服務差し繰りによることが困難である場合は、賃金または超勤により欠務の後補充を行なわなければならないが、この場合に臨時雇を漫然と雇用せず、時間別の業務量をよく把握して最も忙しい差し繰りの困難な時間帯にパートタイマーを配置するなど、きめの細かい配慮をするよう指導されていた。

(2) 郵政省は、右のような非常勤雇用のための賃金措置をとつており、第二乗務課にもこの予算措置がなされ、特に昭和五〇年四月以降についてはアルバイト三名分の賃金措置がなされていたが、前記のとおり業務の特殊性から乗務員は非常勤では難しいので、この非常勤の賃金措置分を駐在係で使用し、駐在係の新入職員を乗務係にしたことがあつた。

(3) 前記認定のとおり、名古屋鉄郵局では第一乗務課、第二乗務課は、いずれも年末繁忙期に学生を非常勤として採用したことがあつたが、これは、あくまでも繁忙期の力仕事、受渡の補助という形態のものであつた。また、本件以降は平常時でも乗務経験を有する退職者である村川英雄を非常勤として雇用して乗務させ、また、浅川、大野を非常勤として雇用し乗務訓練をしたうえ乗務させていた(同人らは、乗務しないときには駐在係の仕事を行なつていた。)。

(4) 昭和四四年から同四九年までの名古屋鉄郵局の退職者は約四七名いたが、そのうち乗務経験を有していたのは一四名、さらに名松線、松和線の乗務経験があるのは三名であつた。そして、本件当時、第二乗務課乗務係では退職者を非常勤として雇用するということは行なわれなかつた。なお、右の乗務経験のある退職者のうち柳沢岩男(昭和四四年退職)は、本件当時頼まれても非常勤として勤務する意思はなかつた。

(六)  兼担制度あるいは随時の兼担

名古屋鉄郵局では、乗務係以外の者とくに駐在係に対し、乗務係の予備として兼担発令をして乗務させるということがあつた。岐阜分局(岐富線)では予備員が二名のみであつたことから、駐在係二名に兼担発令をして乗務させている。また、本件以前に第一乗務課でも制度として行なわれたことがあつたが、駐在係で乗務を希望する一〇名以上の者に兼担発令をしたため乗務の希望をしたのに、なかなかかなえられないということからこの兼担制度は失敗に終わつた。

第二乗務課では、乗務経験を有する駐在係が九名、総括係二名がいたが、本件当時を含め兼担制度が実施されたことがなく、また、随時兼担発令をして乗務させるということも行なわれていなかつた。

以上のとおり認められ、これに反する証人松本邦平、同内村昌浩の各証言部分は、前掲各証拠に照らし直ちに採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

5  未処理郵便物

前掲乙第二四号証の一、二、第二九号証の一、二、成立に争いのない甲第四号証、乙第二二号証、第二三号証の一ないし一五、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第五号証、乙第七号証の一ないし四、証人勝谷修身、同山本忠克、同大石三夫の各証言を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  鉄道郵便車に積みこまれた郵便物につき、前記のような車中での所定の作業が完了しなかつた場合、未処理郵便物が生ずることになる(以下、単に「未処理」ともいう)が、このような場合、出張先においては便長が鉄道電話で所属課長にすみやかに報告し、帰着後「車中事務取扱状況報告書」を作成することになつており、未処理郵便物の送付先、送付方法も決められていた。

(二)  そして、原告が昭和五〇年三月二四日から同月二六日までの三日間四便に乗務せず一名欠員のまま運行されたことにより次のとおりの未処理郵便物が発生した。

(1) 同月二四日の名松線下二号便では、三重県宛の普通通常郵便物約二〇〇通が未処理となり、松坂局へ送付された。右の約二〇〇通は、その詳細は不明であるが、桑名局から鈴鹿局までに受渡すべきもの(これを「最近」という)は優先処理されるため、これ以外の分である可能性が高く、亀山、津の各局に受渡すべきであつたものと松坂以遠宛のものであつた。亀山、津の各局に受渡すべきであつた分は、送付局である松坂局が自局の郵便物と合わせ次便以降で配達局へ送付されることになるため配達が半日ないし一日遅れることになつた(一日に二回配達される市内地では半日、一回しか配達されない市外地では一日の遅配となつた。)。但し、亀山、津の各局は配達物数が多く、すでに区分して郵袋に入れられていることが多いため、右の未処理のうち、この分は少なかつた可能性が高かつた。一方、松坂以遠宛のものはそもそも車中で区分して松坂局へ送付されるものであるから、右の未処理による影響は、松坂局の局員が区分作業を行なうというものであつた。

(2) 同月二五日の松和線下一号便では、三重県宛の普通通常郵便物約七五〇通が未処理となり、松和線上二号便へ送付された。右の約七五〇通は、松和線上二号便で送付され、同便の本来の郵便物と合わせて車内作業がなされることになり、その配達は半日ないし一日遅れることになつた。

(3) 同月二五日の松和線上一号便では、府県雑の普通通常郵便物五〇〇通が未処理となり、松坂局へ送付された。右の五〇〇通は、愛知県、岐阜県その他東京都など遠い各県分であり、本来は区分、把束したうえで松坂局へ送付され、翌日の鉄道便または自動車便で送付されるものであるところ、区分されないまま松坂局へ送付されたもので、これが遅配になつたかどうかは明らかではない。

(4) 同月二六日の名松線上一号便では、府県雑二五〇通、岐阜県宛二〇通、愛知県宛三〇通の合計三〇〇通が未処理となり、名古屋鉄郵局へ送付された。これらの郵便物は、東門線上り、下り及び名長線(名古屋―長野間)の決められた便に送付するよう決められていたが、名古屋鉄郵局で区分されたうえ、その後の各便で送付されるため、その時間分送付が遅れることになつた。

(三)  なお、「未処理郵便物の処理方について」という名古屋鉄郵局局長名の内規によれば、便長は、災害時等の突発的な事故その他真にやむを得ない事由により車中業務の完全処理が不可能な場合には、<1>特殊通常郵便物、<2>小型通常郵便物、<3>速達小包郵便物、<4>小包郵便物の順序(但し、状況により<2>ないし<4>の順序は変えることができる。)で処理に努めるよう指示されていた。

(四)  また、「郵便業務運行確保について」という調査課長名の内規では、車中状況による臨機の措置として、突発的欠務発生等により欠員が生じた場合、状況によつては、大郵袋の対照を行なうことにより他の作業に支障が生ずる恐れがあると判断した時は、積込個数の確認ならびに宛地別の個数照会にとどめ、郵袋送致証の内訳欄の対照を省略してもさしつかえない、と指導している。

(五)  一方、郵政省では、昭和四六年一〇月一五日、第一種定形郵便物、郵便書簡、第二種郵便物(はがき)が差し出されてから配達されるまでの所要日数を国民に公表することとし、同月二五日以降、右日数を示す「手紙はがき郵便日数表(郵便物標準日数表)」を全国の集配局の窓口に掲示していた。

そして、郵便物の配達に関する国民の関心は非常に強く、郵便物の遅配については、新聞等にその苦情が投稿され、掲載されることも、しばしばあつた。

6  時季変更権行使の効力の判断

以上の事実にもとづき、本件時季変更権行使の効力について次のとおり判断する。

(一)  まず、鉄郵局における「事業の正常な運営を妨げる場合」について検討するに、郵便事業は国民の日常生活に不可欠な高度の公共性を有する国営事業であり、鉄郵局は、国鉄による集配局相互間の郵便物の運送業務をなすことにより郵便事業の一翼を担つており、その業務の正常な運営が阻害されると、集配局相互間の所定の郵便の流れに影響し、ひいては郵便物の遅配又は誤配を生ぜしめるおそれがある。かくては、国民の郵便事業に寄せる、迅速かつ正確な郵便物の取扱いがなされることへの期待と信頼は裏切られることになる。すなわち、鉄郵局の業務運営の良否は、直ちに全国の多数の郵便局における業務運行に波及的な影響を及ぼし、ひいては国民生活に直接的な影響を与えることになるという事業の性格、内容を有している。従つて、鉄郵局は常に集配局間に郵便物が定められたとおりの速さと正確さをもつて流れるようにその業務を遂行すべき使命を帯びているものというべきである。

そして、鉄郵局の右のような使命が損われるのは、一般的には、乗務事務において遅配に結びつくような未処理が発生した場合である。また、名古屋鉄郵局においては、未処理が常態として発生していたわけではなく、通常は未処理が発生しない状態で業務運営がなされていたのである。

従つて、遅配に結びつくような未処理が発生する蓋然性が高い場合には、労基法三九条三項但書の「事業の正常な運営を妨げる場合」に該当するものと解すべきである。

なお、原告は、名古屋鉄郵局においては、突発的欠務発生等により欠員が生じ未処理の生ずる可能性のある場合には、内規によつて郵便物の種類別の処理優先順序や郵袋送致証の内訳欄との照合の省略という簡易な処理方法を定め、また、未処理郵便物の送付先、送付方法を定めており、未処理の生じた場合の措置が日頃から確立されていたのであるから、事業の正常な運営が阻害されるとはいえない旨主張する。しかしながら、右のような処理方法の定めは、本来発生してはならない緊急事態に、せめて業務の支障を最少限にとどめんがためのものであつて、このような内規による処理方法が決められていることをもつて、未処理が生じても事業の正常な運営を阻害するものではないということはできないと解すべきである。

また、原告は、通常郵便物が標準配達日数よりも一日ないし二日遅れることは、鉄道自体の遅れによることもあり、許容されている旨主張する。思うに、確かに国民は一般的に右標準配達日数よりわずかの遅れがあつても直ちに問題にすることは多くないと思われるが、それとて決して許容しているというわけではなく、迅速かつ正確に配達されることを望んでいるものと考えられる。そして、遅配については新聞等に、しばしば苦情の投稿が掲載され、余りに遅れる場合や同時期に配達されるであろう郵便物について配達までの所要日数に差があることについては、痛烈な批判がなされることもある。もちろん遅配については、各集配局や国鉄など鉄郵局以外に原因のあることもあり、各原因が競合したような場合に右の批判が生ずる事態が発生したものと考えられるが、鉄郵局としては、自らの行なう業務に関する限り、迅速かつ正確な配達のため最善を尽すべき使命を帯びているのであり、自局の担当範囲での遅延を避けるための努力を尽しているものであるから、原告の右主張は理由がない。

(二)  名古屋鉄郵局における「事業の正常な運営を妨げる場合」とは右のとおりであるところ、予定されていた乗務員が欠乗すると一般的に遅配につながるような未処理が生ずる蓋然性が高いことからすると、乗務勤務の指定がなされている者が時季指定をした場合には、いつでも時季変更権の行使が可能であるということになりかねず、かくては、名古屋鉄郵局乗務員には年休の権利が実質的には保障されない状態になるといわざるを得ない。

思うに、労働者に休暇の権利が認められ、労基法によれば、第一次的には労働者の意思により年休の時季が決定されるものとしていることからすると、労働者が年休の時季指定をしたときは、使用者において、当該時季に労働力の配置を変更したり代替要員を確保したりして事業の正常な運営を確保するための可能な限りの方法を検討し努力すべきであり、このような努力をしたのにもかかわらず、なお事業の正常な運営が阻害される蓋然性が高いと客観的に判断される場合にはじめて時季変更権を行使することが許容されると解するのが相当である。

従つて、労働者から年休の時季指定がなされた場合、使用者は、労働力の配置変更や代替要員の確保につき、労働協約、就業規則、内規等により行なうことができると定められ、あるいは行なうよう指導されていた方法について逐次検討すべきであり、また、他に容易に検討しうる方法があれば、それについても検討をすべきであり、これらの努力をすることもなくなされた時季変更権の行使は違法と解すべきである。

以下、本件における服務差し繰りの方法や人員配置について検討する。

(三)  被告は、原告の昭和五〇年三月二四日から同二六日までの本件時季指定に対し、そのうち三月二四日についての服務差し繰りが困難であると判断し、右三日間の原告の勤務が連続して出張する勤務であつたことから、三日間のうちの一日または二日のみの年休を認める(法律的には承認という意味ではなく時季変更権不行使という意味にすぎない。以下、この意味で用いる。)ことの可能性については検討せずに時季変更権を行使したものである。そこで、このような始期と終期を定めて連続する何日かの年休の時季指定がなされた場合、使用者は、そのうちの一部についてだけでも年休を認めることができるかどうかを検討しなければならないか否かが問題となる。

思うに、労働者が一日のみでなく二日以上の期間を時季指定するときには、その全期間が年休とならなければ意味がなくなるという場合(全部が不要になる場合)と、そのうちの一部が年休とならなくても残りの部分の年休は取得したいという場合の二つの場合があると考えられる。しかしながら、労働者が右のいずれの意思であるかは本人が表明しない限り使用者にはわからないのが通常である(なお、年休の利用目的からある程度これを推認しうる場合があるかもしれないが、労働者にはそもそも年休の利用目的を使用者に告げる義務はなく、使用者が労働者に年休の利用目的を問えば無用の紛争が起こる虞れもあるのであるから、いずれにせよ、使用者としては労働者から右の点について明確な申出がない限り、労働者が前記のいずれの意思で年休を請求したかを判別することは通常困難であるというべきである。)。

ところで、年休の時季指定は、労働者がその有する休暇日数の範囲内で具体的な休暇の始期と終期を特定して行なうものであり、二日以上の期間の時季指定がなされてもそれ自体一個の時季指定というべきである。そして、使用者側の意思でこれを任意に分割できるものではない。また、労働者が時季指定をする際に、そのうちの一部に業務の支障があるという場合に備えて、一部でもよい旨の意思を表明するなどして予備的に時季指定をすることも容易であり、さらに、時季変更権を行使された際に、そのうちの一部でも取得できないかを聞いて新たに時季指定をすることも可能である。

従つて、右の点からすると、労働者が始期と終期を定めて時季指定をした場合、労働者の意思がそのうちの一部でもよいということが客観的に窺われる場合のほかは、労働者側からその旨の意思表明(予備的な時季指定)がない限り、当然に一部についての時季指定もなされたとして服務差し繰りを検討しなければならないものと解するのは相当ではない。

本件では、原告が本件の時季指定をする際に、仮に、全期間についての年休取得が無理である場合には、そのうちの一部でもよい旨の予備的な時季指定もせず、また、時季変更権行使の通告をされたときにも、そのうちの一部でもよいとの新たな時季指定もしなかつたこと、原告は時季指定をした三日間に、連続して乗務勤務する六番勤務に勤務指定がなされ、当時は、普通二日あるいは三日勤務のときには、二日間あるいは三日間の年休請求をすることが多かつたことからすると、原告自身も、当時は三日間全体の年休取得しか考えておらず、そのうちの一部(一日または二日)でもよいという意思ではなかつたと推認しうる。

そうすると、本件年休請求に対し、被告が三月二五日、二六日についての服務差し繰りの検討をしなかつた点は、本件時季変更権の行使の効力に影響を及ぼすものでないというべきである。

(四)  次に、三月二四日についての服務差し繰りの方法の適否について検討する。

(1) まず、本件では、基本線表勤務者及び予備線表勤務者のいずれも、同日年休を取得している者については最初から服務差し繰りの対象から除外しているのであるが、他方、「郵便業務管理」という指導文書によれば、「やむを得ない事情で予定しない日に諸休暇を付与せざるを得ない場合」の服務差し繰りの後補充について、一般的には週休日の振替、年休の変更等により欠務の後補充をする旨記載されているので、その適否につき判断する。

思うに、年休の時季指定が競合した場合で、既に時季指定され、かつ、時季変更権を行使しなかつたあるいは行使しない旨表明した年休があつて、その後に新たな同時季の時季指定がなされたときには、後の年休請求の服務差し繰りをする際に、既に年休を取得している者の期待を尊重し、その優先を認め、これを差し繰りの対象から除外するのは何ら非難されるべきことではなく相当というべきである。右の「やむを得ない事情で予定しない日の諸休暇を付与せざるを得ない場合」とは、少なくとも、年休の変更を検討するという点では、名古屋鉄郵局においても行なわれていた本人の病気、近親者の病気・不幸その他社会通念上やむを得ない事由により年休、特休、病休を付与せざるを得ない場合のことをいうものと解するのが相当である。従つて、これは、事業の正常な運営を阻害するものと認めながら休暇を与えるもの(服務差し繰りができなくても与えるもの)であり、事業の正常な運営を阻害するかどうかを判断するため服務差し繰りの検討をするのとは異なるというべきである。

(2) 次に、本件では、基本線表勤務者で同日が週休日に指定されている者を最初から服務差し繰りの対象から除外したが、週休日の振替については、労基法は毎週少なくとも一回あるいは四週間に四日以上の休日を与えなければならないことを定めているのみで、週休日と年休のいずれが優先するかを定めているわけではなく、また、前記認定のとおり、郵政省では、週休日の振替を同省就業規則、同省勤務時間規程に定めており、その該当事由には年休の時季指定がなされた場合も含むものとされており、そして、本件当時にも現に予備線表勤務者については週休日の変更(振替)がなされていたことからすると、週休日が年休に優先するという被告の主張は採りえない。

そうすると、右のとおり、基本線表勤務者についてのみ週休日が当然に年休に優先するということはできず、また、郵政省就業規則、勤務時間規程に年休を付与するために週休日の振替がなされる可能性があることも定められており、本件当時、組合は、週休日当日になつてからの勤務指定変更に反対していたのみで基本線表勤務者の勤務指定変更自体については反対していたわけではなかつたのであるから、三月二四日に週休日が指定されている者に対して連絡し、その意見を聞くなどしたうえで、差し繰りを検討すべきであつたというべきである。右の措置をとることについては、かつて、個々の組合員から反対されたことがあつたとしても、本件年休請求についても当然に反対されるかどうかは明らかではなく、同人らに連絡して検討するくらい充分可能であつたのに、初めから差し繰りの対象から除外してしまつたのは、服務差し繰りにあたり当然考慮されるべき点を怠つたものといわざるを得ない。

(3) さらに、三月二四日が非番日で同二三日に名古屋へ帰着予定であつた者を服務差し繰りの対象から除外した点について検討するに、予備員で服務差し繰りができないときには、他の乗務員の服務の臨時変更によつて乗務させるよう指導されていたこと、組合は基本線表勤務者の勤務指定変更自体については反対していなかつたこと、非番日予定三名のうち熊野勝章は午後一時〇八分には名古屋へ帰着の予定であり、米本代理らが服務差し繰りが困難であるとの最終的判断をなしたのが午前一一時ころで、あと二時間ほど待てば事情聴取をすることも可能であつたのに、最初は右熊野についてもあたつてみるという話も出ていながら、これを中止してしまつたこと、しかも、普通なら年休の時季の始期の前日の午後五、六時ころまでに判断するのに、本件では、いつもよりも早く判断したこと、また、原告に対し時季変更権行使の通告をしたのは、右熊野の帰着予定時刻ころであつたことからすると、大石課長らは、容易にできる努力をも怠つたものというべきである。

(4) また、前記認定のとおり、「郵便業務管理」によれば、服務差し繰りの後補充につき、副課長ら管理職等からの応援の措置を採る旨の指導が存するが、これは、「内務の場合は局情により作業量がピークを示す短時間の事務がうまく処理できればよいこともあるので」との表現からも明らかなように、内務の場合、すなわち右管理職等の職務の場所から大きく動かず、その本来の職務にあまり支障がなく、しかも短時間であるという場合に、このような措置を採ることも検討するように指導されているのであつて、本件の場合は、三日間の連続の出張勤務であり、右にいう「内務」とはいい難く、また、短時間という点でもこれに反するもので、右の指導は本件年休請求の場合には該当しないことは明らかである。

なお、名古屋鉄郵局では、乗務係に欠務の発生した際に管理職らがその後補充をして乗務勤務をしたこともあつたが、社会通念上やむを得ない事由による欠務が発生した場合や、その他の緊急時にこれを行なつたことがあるのみであり、右のような例があつたことから、本件でも管理職らの後補充を検討すべきであつたということはできない。

(5) 以上のとおり、本件では予備線表勤務者による服務差し繰りが困難であると判断した後、基本線表勤務者についても勤務指定表で一応検討したが、実質的には基本線表勤務者については服務差し繰りがなされなかつたものというべきである。すなわち、週休日の者に対しても検討すべきであつたところ、これを除外し、また非番日の者に対してもどうせ反対されるであろうということで事情聴取すらしなかつたのであるから、これらの点で服務差し繰りの努力を怠つたものといわざるを得ない。

(五)  さらに、第二乗務課では予備定員は四名とされていたところ、加藤美視が長期病休中でさらに長期にわたつて欠勤することが予想しうる状況にあつたことから、本件以前に人員配置上の措置をとるべきであつたか否かについて検討する。

まず、長期病欠者で休職には至らない者に対する措置は増員によるのではなく、賃金措置(非常勤、超勤)によることとされていたのであるから、予備定員が実質的に一名少ない状態であるとしても(ただし、本件では倉橋が第二乗務課兼務となり、必要に応じ乗務勤務していたのであるから、同人により右の減員の補充がある程度はなされていたともいえる。)、予備定員を増員するとか臨時補充員任用の措置を採るべきものではなかつたというべきである。

一方、本件当時、第二乗務課乗務係の年休の平均取得日数は二〇日前後であつたが、毎年の自由年休が二〇日でありその他に計画年休があることを考えると、二〇日前後の取得では計画年休が減少していくことにはならず、充分に年休が取得されているとはいえないが、これが人員配置上の問題のために年休取得が妨げられていたのかどうかは明らかではない。第二乗務課乗務係の休暇の取得日数は、「原告の主張に対する認否」9項のとおり計算すると、加藤美視及び倉橋照夫を除外した場合、一人あたり三九・一日であり、その日数のみから考えると、必ずしも年休取得が妨げられている状況にあつたとまではいえないというべきである。

また、希望する時季に取得できる状況にあつたか否かは、第二乗務課において年休の時季指定をする際に服務係に事前に打診するという方法がとられていることが多く、従つて、時季変更権を行使することが殆どなかつたために必ずしも明らかではない。

そこで、非常勤の雇用について検討するに、本件乗務勤務の特殊性からすると、乗務経験のない非常勤をもつて容易にこれを補えるような職務ではなく、また、当時は乗務経験のある退職者で非常勤として雇用される意思を有する者がいたかどうかは明らかではなく、退職者による非常勤雇用を当然に確保すべきであつたとまではいえないと解するのが相当である。

しかしながら、非常勤雇用や随時の兼担は、「郵便業務管理」でも指導されており、加藤が長期病欠になつており、予備員が一名欠ける状態(倉橋は第一乗務課の乗務も必要に応じて行なうものであり完全にこれを補充する状態にはなつていない。)である以上、このような方法を検討すればよりベターであつたということができる。

(六)  以上のとおり、本件年休請求に対し、大石課長らは、当然に検討すべきであつた週休日、非番日に指定されている者や、乗務勤務の指定がなされている者に対しては服務差し繰りの努力をしなかつたものであるから、実質的な服務差し繰りの努力をせずに時季変更権を行使したものというべきであつて、右時季変更権の行使は違法なものであり許されないと解するのが相当である。

四  結論

以上によれば、本件時季変更権の行使は違法であり、従つて右時季変更権の行使が適法であることを前提としてなされた本件懲戒処分も違法であり取消を免れないものというべきである。

よつて、その余の点につき判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 川端浩 棚橋健二 山田貞夫)

別紙1ないし8<省略>

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